慰安婦問題

2013年7月29日 (月)

『慰安婦神話の脱神話化』第二部: 作業進捗

「『慰安婦神話の脱神話化』第二部: 実際に何が起きなかったのか」の主旨は、パリセイズパークの慰安婦碑に展開されている韓国側の主張がいかに事実とかけ離れているかを示すことにあります。

慰安婦碑に書かれている主張を次の三点に要約し、反論していきます。

1. 全ての慰安婦が自分の意志に反して強制されたのか
2. 慰安婦は日本軍による無差別な拉致によって集められたのか
3. 慰安婦は日本政府の決定と命令に基づいて強制されたのか

彼らの慰安婦碑は、下のような黒板に変貌し・・・

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黒板の上で、畳み掛けるように、反論が展開されていき・・・

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最後は元の慰安婦碑に戻って、彼らの主張がいかに荒唐無稽なものであるかが、対照的に示されるという展開です。

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完成を、お楽しみに。

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2013年7月24日 (水)

慰安婦神話の脱神話化 第2部: 作業進捗

しばらくTPPや道州制などの「グローバリズム」の問題に取り組んできましたが、「歴史問題」にも再び重点を置き、皆さんをおまたせしている動画を完成させていきます。

「自虐史観と構造改革」という記事で述べた通り、「すばらしい日本」を守るという観点から、「グローバリズム」と「歴史問題」というこの二つの問題の取り組みは、どちらも欠かし得ないものであり、二つの問題を相互のつながりの中で捉えてこそ、それぞれの問題にも正しく対処していくことができると考えています。避けなくてはならないのは、「歴史問題」に由来する「特亜」への敵愾心ばかりを肥大化させ「グローバリズム」に対する警戒心が麻痺させられることです。これは自民党支持者に典型的に見られる誤った姿勢です。また「グローバリズム」の問題にもっぱら取り組む一方で「歴史問題」には無関心になることです。これは左系の人々に見られる誤った姿勢です。二つの問題に対するバランスのとれた、また相関的な取り組みを目指していきたいと思います。

どちらかのみに集中すべきであるとおっしゃる方もいらっしゃるのですが、「左翼」と「右翼」にすっぱりと分かれてしまっている政治的立場を総合し、日本の根っこから生え出た中道的な勢力を確立するのがWJFプロジェクトの願いです。この観点からも、「グローバリズム」の問題と「歴史問題」を別個の問題として扱うのではなく、日本が直面する一つにつながった問題として取り組んで行きたいとWJFプロジェクトは考えています。

「歴史問題」に取り組むと陰謀論者や左系の人々から「統一教会だ」「ネトウヨ扇動者」となじられ、「グローバリズム」の問題に取り組むと自民党支持者から「左翼だ」「反日だ」「朝鮮人だ」となじられるという二方向からの不理解に直面するのですが、それにめげることなく、「歴史問題」と「グローバリズム」、いずれの問題におきましても、WJFプロジェクトは質の高い取り組みを目指していきたいと願っています。

(TPPや道州制、消費税増税など、様々な危険な政策に関する啓蒙活動、みなさん引き続きよろしくお願いします。長い戦いになります。息切れせぬように、飽きる事なく、また、あきらめることなく声をあげ続けていきましょう。)

製作を進めてきました「『慰安婦神話の脱神話化』第二部: 実際に何が起きなかったのか」の一部分をお見せします。

パリセイズパークの慰安婦碑上で米韓人会が展開する主張を、3つの論点に分解し、その一つ一つを具体的に論破していくという構成です。論破するのは次の3つの論点です。

1. 全ての慰安婦が自分の意志に反して強制されたのか
2. 慰安婦は日本軍による無差別な拉致によって集められたのか
3. 慰安婦は日本政府の決定と命令に基づいて強制されたのか

上の動画は、論破する目標となる3つの論点を提示している部分です。

動画づくりの一番難しく、また時間をかけて悪戦苦闘しなけれぱならない部分は、実際に動画にする作業よりも、内容にふさわしい展開と構成を考えだしていく作業なのですが、試行錯誤の甲斐もあり、説得力のある構成をもつ動画が生まれつつあると確信しています。

上でお話した動画の構成も、お話すると何ともないことなのですが、ここまでに至るのが、けっこう大変であり、これまでも様々なアイディアを試しては没にしてきています。こちらからの一方的な視点ではなく、外国人の視点からどう見えるかということを常に配慮しなくてはならないため、あらためて動画作りは難しいなあと嘆息する日々です。

この後、「正しい問題の原因を知る事なしには、同じ悲劇を防ぐ事はできない」という論旨で、第三部の「実際に何がなされるべきなのか」に物語がつながって行きます。

直接に日本の自己弁明を目指すのではなく、「同じ悲劇の防止」という点に主眼をおいて、その点を迂回することによって、結果的に日本の自己弁護を果たすという構成とねらいになっています。

慰安婦問題を語るときには、いかに感情を排して無私になれるか。日本人が「日本人」という立場すら離れた俯瞰した場所から客観的に第三者的に論旨が展開できるかが大切だと思ってます。

完成までもう少しです。妥協することなく、みなさんに納得していただける質の高い作品を完成させますので、どうぞ、お待ちください。






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2013年7月19日 (金)

安倍晋三は昔と何も変わっていない: 慰安婦問題に関する彼の謝罪をめぐって

先日、「自民党ネットサポーターズクラブ」についてという記事で、「自民党のゲッベルス」とも呼ばれる自民党のメディア戦略を担ってきた世耕弘成という人物について取り上げました。そこで紹介した、あるブログ記事の中に取り上げられていた、『週刊文春』の記事を改めて引用してみたいと思います。

「従軍慰安婦」を米紙に "広報した" 安倍政権宣伝マン」(「週刊文春」2007年03月22日号)

従軍慰安婦問題で安倍首相への批判が世界に広がっている。ニューヨーク・タイムズが社説(三月六日付)で「アベは謝罪すべきだ」と非難し、八日には一面で「Sex Slaves(性の奴隷)」と刺激的な見出しで慰安婦の証言を掲載。全米のマスコミから世界に飛び火し、外務省が火消しに追われている。

それにしてもなぜ今従軍慰安婦が米マスコミで大きく取り上げられるのか。実は火付け役がいる。安倍首相の広報担当補佐官、世耕弘成氏だ。

世耕氏が訪米したのは二月十九日。米下院で提案されている「従軍慰安婦に関する対日謝罪決議案」について、「安倍首相の真意を説明に行く」と官邸関係者に大見得を切って出発した。しかし、「世耕氏の行動はピントはずれ。下院は祝日のため1週間休会で、議員たちは地元に戻っていた。それを知っていて、世耕氏は訪米したのです。結局、ファーストクラスでの訪米で官費を二百万円以上浪費しながら、一人の議員にも会えなかった」(官邸関係者)

何とか会えたのが、国務省のスティーブンス次官補代理。ヒル次官補の部下だ。「こんな下のランクの役人にわざわざ会いに来る国会議員なんていません。しかも、スティーブンス氏は慰安婦問題自体を知らなかった。それで、逆に『大変な問題だ』と思われてしまうのです」(同前)

さらに世耕氏の行動は裏目に出る。彼は騒ぎの発端となったニューヨーク・タイムズをはじめ三大TVネットワークなど大手マスコミをまわったのだ。在米記者の話。

「慰安婦問題は下院で何度も提案されている人権問題のひとつにすぎず、誰も関心がなかった。それをわざわざ首相補佐官が各マスコミをまわるものだから、寝た子を起こしたのです。そもそも法的拘束力のない決議案なので放っておけばよかったんです」

帰国後、世耕氏は安倍首相に「トータルで六十人に会いました」と報告。しかし、説得すべき議員には一人も会わなかったことはひた隠し。最近は記者たちに、「訪米中、慰安婦の問題は一切話してない」とウソをついている。

官邸記者が嘆く。
「補佐官を五人も起用したものの、みんな仕事がない。だからこんな事態が起きる」
「広報のプロ」を自任する世耕氏の真価が問われる。

つまり、週刊文春によると、世耕弘成がアメリカに行き、わざわざメディアを焚き付けて慰安婦問題に火をつけて回っていたというのですが、この記事の指摘は本当なのでしょうか。

この記事の真偽は分かりませんが、日本の「保守」政治家や一般の人々が、わざわざ、慰安婦問題に関して国際社会の注目を浴びる発言や行動をとるというこの不思議な現象は幾度も繰り返されています。彼らの手法が稚拙だから傷口を広げているのか。傷口を広げるために、わざと稚拙な行動を起こしているのか。

下は、「歴史問題を克服し、日韓の一体化を推進し続ける会 」に所属する和服姿の日本人女性たちが、慰安婦問題について謝罪している写真です。(http://www.newscj.com/news/articleView.html?idxno=138537)

Comfortwomenapology

多くの皆さんが既にご存知の通り、中央に映っている女性は、江利川安栄という統一教会の日本支部に当たる日本統一教会の第7代会長の方であり、他の女性たちは韓国に嫁いだ統一教会の日本人信者の方たちです。

Erikawayasue

統一教会という韓国の反日カルトは、当然慰安婦問題を国際社会に目立たせたいという意図を持っているわけですが、どうやら慰安婦問題に関して日本を糾弾する韓国の側にも、逆に慰安婦問題について日本を弁護している(ように見える)日本の「保守」の側にも、同じように影響力を効かせているということになります。かねてから韓国との問題で、韓国との対称性のある行動をとるべきではないと訴えてきましたが、なぜか執拗に韓国と対称性のある行動をとりたがる人たちがいる理由もうっすらと見えてきます。

さて、2007年の4月26日、日米首脳会談後の記者会見の場で安倍晋三は、慰安婦問題について日本の総理大臣として謝罪してしまうわけですが・・・

この日米首脳会談後の記者会見での発言については、謝罪ではないという意見もあります。しかし、この訪米に先立って、安倍晋三が、ニューズウィーク誌とのインタビューで総理大臣として明確に慰安婦問題について謝罪しています。(これも謝罪ではないと言い張る人たちもいます。)

(ニューズウィークの記事と、政府の公開したテキストの両方を掲載しておきます。まずは、ニューズウィーク誌の記事ですが、日付は2007年4月29日になっていますが、インタビューは訪米前の4月17日に行われ4月21日に政府によって公開されています。)

'We Bear Responsibility'

As you know, your comments on "comfort women" caused an outcry in the United States. Do you really believe the Imperial Army had no program to force Korean, Chinese and other women to provide sexual services to Japanese soldiers?
I have to express sympathy from the bottom of my heart to those people who were taken as wartime comfort women. As a human being I would like to express my sympathies, and also as prime minister of Japan I need to apologize to them. The 20th century was a century in which human rights were infringed upon in numerous parts of the world, and Japan also bears responsibility in that regard. I believe that we have to look at our own history with humility, and we always have to think about our responsibility.

Do you now believe that the Imperial Army forced these women into this situation?
With regards to the wartime comfort-women issue, my administration has been saying all along that we continue to stand by the Kono Statement [a 1993 acknowledgment of Japan's partial responsibility for the brothels]. We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the time.

「我々は責任を負う」

記者「ご存知の通り、慰安婦に関するあなたの発言はアメリカで抗議の声を引き起こしています。あなたは本当に帝国陸軍が韓国や中国や他の国々の女性たちに、日本兵に対して性的なサービスを提供するように強制するいかなる制度ももっていなかったと信じていらっしゃいますか。」

安倍「私は、戦時慰安婦として徴用された方たちに、心の底からの同情の意を表さなくてはなりません。一人の人間として私は同情の意を表したいと思います。そしてまた日本国の総理大臣として、慰安婦の方たちに謝罪する必要があります。20世紀は世界の多くの場所で人権が侵害された時代であり、日本もこの点において責任を負っています。私たちは謙虚に自らの歴史を見つめ、私たちの責任について常に考えなければならないと私は信じています。」

記者「あなたは現在、帝国陸軍はこの女性たちをそのような状況に強制したのだと信じていらっしゃるのですか?」

安倍「戦時慰安婦の問題に関しましては、私の政権は河野談話を守り続けると一貫して申し上げております。私たちは、当時の状況下で慰安婦としての苦難と苦しみを味わうように、これらの女性の方たちを強制したことに責任を感じています。」

下は政府が発表したニューズウィーク誌と安倍晋三とのインタビューのテキストです。

Q:総理の慰安婦についてのコメントについて、アメリカで反感が出ているが。

A:私は当時の慰安婦の方々に対し人間として心から同情をするし、そういう状態に置かれたことに対し、日本の総理として大変申し訳ないと思っている。20世紀においては人権が世界各地で侵害された世紀であるが、日本にもその責任があり、例外ではない。われわれはわれわれの歴史に対し常に謙虚でなければならないし、常に私たち自身の責任を思いを致さなければならないと考えている。

Q:私の記憶が正しければ軍が関与した証拠はないと述べたように記憶しているが。

A:これは官房長官談話のときの政府の調査についてであり、私が初めて述べたものではなく、今までの政府の見解(平林外政審議室長答弁など)を述べたものである。つまり事実関係について述べたのは私が初めてではないということである。ここで事実関係について述べることにあまり意味はないということである。

Q:要点は軍が女性を辛い状況に追い込んだことについて河野談話の立場を継承し、総理としてお詫びするということか?

A:彼女たちが慰安婦として存在しなければならなかった状況につき、われわれは責任があると考えている。そのときの状況として、慰安婦として彼女らが非常に苦しい思いをしたことに対して責任を感じているということである。念のために言っておくが、慰安婦の問題に関しては河野官房長官談話を私の内閣は継承しているとは一貫して言っていることである。

「河野談話を見直す」といってわざわざ国際社会の反発や注目を煽って、最後は謝罪する。慰安婦問題で大騒ぎをして、わざわざ傷口を広げるこのパターンが執拗に繰り返されているのはどういうことなんだろうと、改めて不思議に思います。

さて、以前も紹介しましたが、この安倍晋三の謝罪について、2007年当時、西尾幹二氏が産經新聞の「正論」に下のような評論を掲載されていました。この文章を読むと、安倍晋三や周囲の人々が、当時から何も変わっていないこと、全く同じことが繰り返されていることがよく分かります。

保守の本当の声結集する政権を待つ:【正論】評論家・西尾幹二 慰安婦問題謝罪は安倍政権に致命傷(産経新聞2007年4月27日)

≪そらされている熱い感情≫ 

私は冗談のつもりではなかった。けれども人は冗談と取った。話はこうである。

月刊誌「WiLL」編集部の人に2カ月ほど前、私は加藤紘一氏か山崎拓氏か、せめて福田康夫氏かが内閣総理大臣だったらよかったのに、と言ったら「先生冗談でしょ」と相手にされなかった。今までの私の考え方からすればあり得ない話と思われたからだが、私は本気だった。

安倍晋三氏は村山談話、河野談話を踏襲し、東京裁判での祖父の戦争責任を謝り、自らの靖国参拝をはぐらかし、核と拉致で米国にはしごをはずされたのにブッシュ大統領に抗議の声ひとつ上げられず、皇室問題も忘れたみたいで、中国とは事前密約ができていたような見えすいた大芝居が打たれている。これらが加藤、山崎、福田3氏の誰かがやったのであれば、日本国内の保守の声は一つにまとまり、非難の大合唱となったであろう。

3氏のようなリベラル派が保守の感情を抑えにかかればかえって火がつく。国家主義者の仮面を被った人であったからこそ、ここ10年高まってきた日本のナショナリズムの感情を押し殺せた。安倍氏が総理の座についてからまぎれもなく歴史教科書(慰安婦、南京)、靖国、拉致の問題で集中した熱い感情は足踏みし、そらされている。安倍氏の登場が保守つぶしの巧妙な目くらましとなっているからである。

≪「保守の星」安倍氏の誤算≫

米中握手の時代に入り、資本の論理が優先し、何者かが背後で日本の政治を操っているのではないか。

首相になる前の靖国4月参拝も、なってからの河野談話の踏襲も、米中両国の顔色を見た計画的行動で、うかつでも失言でもない。しかるに保守言論界から明確な批判の声は上がらなかった。「保守の星」安倍氏であるがゆえに、期待が裏切られても「7月参院選が過ぎれば本格政権になる」「今は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)だ」といい、米議会でのホンダ議員による慰安婦謝罪決議案が出て、安倍氏が迷走し、取り返しのつかない失態を演じているのに「次の人がいない」「官邸のスタッフが無能なせいだ」とかわいい坊やを守るようにひたすら庇(かば)うのも、ブレーンと称する保守言論界が政権べったりで、言論人として精神が独立していないからである。

考えてもみてほしい。首相の開口一番の河野談話踏襲は得意の計画発言だったが、国内はだませても、中国サイドはしっかり見ていて安倍くみしやすしと判断し、米議会利用のホンダ決議案へとつながった。安倍氏の誤算である。しかも米国マスコミに火がついての追撃は誤算を超えて、国難ですらある。

最初に首相のなすべきは「日本軍が20万人の女性に性奴隷を強要した事実はない」と明確に、後からつけ入れられる余地のない言葉で宣言し、河野衆議院議長更迭へ動き出すことであった。

しかるに「狭義の強制と広義の強制の区別」というような、再び国内向けにしか通じない用語を用い、「米議会で決議がなされても謝罪はしない」などと強がったかと思うと、翌日には「謝罪」の意を表明するなど、オドオド右顧左眄(さべん)する姿勢は国民としては見るに耐えられなかった。

そしてついに訪米前の4月21日に米誌「ニューズウィーク」のインタビューに答えて、首相は河野談話よりむしろはっきり軍の関与を含め日本に強制した責任があった、と後戻りできない謝罪発言まで公言した。

≪通じない「事なかれ主義」≫

とりあえず頭を下げておけば何とかなるという日本的な事なかれ主義はもう国際社会で通らないことをこの「保守の星」が知らなかったというのだろうか。総理公認であるからには、今後、元慰安婦の賠償訴訟、過去のレイプ・センターの犯人訴追を求める狂気じみた国連のマクドゥーガル報告(1998年8月採択)に対しても反論できなくなっただけでなく、首相退陣後にもとてつもない災難がこの国に降りかかるであろう。

米国は核と拉致で手のひらを返した。6カ国協議は北朝鮮の勝利である。米中もまんざらではない。彼らの次の狙いは日本の永久非核化である。米国への一層の隷属である。経済、司法、教育の米国化は着々と進み、小泉政権以来、加速されている。安倍内閣は皇室を危うくした小泉内閣の直系である。自民党は真の保守政党ではすでにない。私は安倍政権で憲法改正をやってもらいたくない。不安だからである。保守の本当の声を結集できる胆力を持った首相の出現を待つ。

「これらが加藤、山崎、福田3氏の誰かがやったのであれば、日本国内の保守の声は一つにまとまり、非難の大合唱となったであろう。(安倍と同じ事を民主党がやっていたら大騒ぎになっていただろう。)」
「国家主義者の仮面を被った人」
「保守つぶしの目くらまし」
「期待が裏切られても『7月参院選が過ぎれば本格政権になる』『今は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)だ』」
「オドオド右顧左眄(さべん)する姿勢」
「安倍氏が迷走し、取り返しのつかない失態を演じているのに『次の人がいない』」
「かわいい坊やを守るようにひたすら庇(かば)う」
「ブレーンと称する保守言論界が政権べったりで、言論人として精神が独立していない」

今の状況と全く同じではないですか。

「私は安倍政権で憲法改正をやってもらいたくない。不安だからである。」

西尾氏のおっしゃるとおりではありませんか?

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2013年7月 8日 (月)

『慰安婦神話の脱神話化』第二部の進捗状況と遅延のお詫び

かねてから、「歴史問題」と「構造改革」、この二つの圧力が、日本を圧迫し、「すばらしい日本」を壊そうとしてきた。そしてこの二つの圧力は今や混然と一体化しつつある、と指摘してきました。

参照記事:
自虐史観と構造改革
これから日本に起きようとしていること

当然「すばらしい日本よ、永遠なれ」という願いのもとに何か事をなそうとするならば、この二つの圧力に対して正しく抵抗していかなくてはなりません。

ですから、WJFプロジェクトは、現在、TPPや安倍政権の問題に注力しているとしても、決して「歴史問題」への努力を怠っているわけではありません。

私は、従来の慰安婦問題に関する説明に全く納得していません。「右翼」、「左翼」、いずれの立場からなされてきた説明にも、私は納得していないのです。ですから、従来とは異なるアプローチを模索し、納得できる形を探して、道なき場所に道を開く思いで、日々、試行錯誤を重ねてきました。

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「『慰安婦神話の脱神話化』第二部、実際に何が起きなかったのか」

大変お待たせし恐縮しておりますが、完成はまもなくです。しかし、あと、わずかの時間をお許しいただきたいと思います。必ず従来にない形に仕上げて、「慰安婦神話」を最も効果的な方法でばらばらに打ち崩し、皆様へのお約束を果たします。

完成次第、DVDにし、支援者の皆様に配布させていただきます。

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2013年6月 1日 (土)

『慰安婦神話の脱神話化』をほめていただきました

アゴラというサイトに記事を寄せていらっしゃる北村隆司さんという方が、WJFプロジェクトの『慰安婦神話の脱神話化』をほめてくださっています。

見て欲しい、この優れ物「慰安婦問題」ビデオ!

私が寄稿した「『完敗』安倍歴史観-論ずるなら、日本向けより世界に向けて!」に、Yasu Osugiさんと言う方から、次の様な意見を頂きました。

「独りよがりな保守内部での議論、根っこにある欧米コンプレックスが問題をより難しくさせているような気がしてなりません。こんな中、実際に行動におこす(恐らく)若者達が以下のようなビデオを作製しています。パトリオチックな感情を抑え、従軍慰安婦問題の核心を見るものに(特に欧米の人々に)どうやって伝えていくか、を深く考慮されているものです。内容に対する批判の声はあると思いますが、国際発信をどうやっていくかを具体的に考えていく上で、大きなヒントを与えてくれているものだと思います。是非ごらんください(英語でも作成されているようですので拡散していくのもいいと思います」

この「『慰安婦神話の脱神話化』第一部:実際に何が起きたのか」と言うビデオは、記録と文字に語らせた演出の巧みさもあり、見る人にこの問題を冷静に考えさせる優秀作だと思います。

「慰安婦問題」に関しては、池田先生や橋下氏などの数多くの発言や松本徹三さんの「慰安婦問題について」などの優れた論述はありますが、いずれも日本の立場を述べたもので、このビデオの様に「慰安婦問題」の視点を日本から世界に移して鳥瞰したものは珍しいと思います。

このビデオのもう一つの特徴は、説得と言うより、それぞれの人が自分の結論を出すための参考資料とも言うべき物で、「慰安婦問題」を考える時に大変貴重なビデオで、「客観性」と「真実」の持つ迫力をこれでもかと感じさせるものがあります。

この様なビデオが世界に普及すれば、「慰安婦問題」の海外での誤解も解け始めるのでは? と期待したくなります(日本の資料や日本人の意見は色眼鏡で見られますので、肝心の海外世論を変えるには余り効果は期待できません)。

最後に一言、「GloriousJapanForever」と言う作者名(?)は、感情を抑えた冷静な作品の客観性を傷つける逆効果になる事が心配です。

2013年5月23日
北村 隆司

慰安婦問題に関する韓国の主張に、単に日本側からのアンチテーゼをぶつけるという対抗的な姿勢や、自己弁明的な意図を全面に出してしまっては慰安婦問題はかえって理解されません。また逆に韓国側の主張をそのまま認めて謝ればいいものでもありません。

しかし、多くの場合、慰安婦問題に対する日本側の対応は、このいずれかの姿勢に陥っており、否定と謝罪という両極の間で、振り子のような往復運動を繰り返しています。

慰安婦問題は、「全か無か」「0か100か」「あったかなかったか」「志願か強制か」という二元的な問題設定によって単純化したり一般化したりすることのできない複雑で繊細なニュアンスを含んだ問題ですので、これを正しく語るには、日本という立場を超えて、俯瞰的、総合的、第三者的な視点から説明しなくてはなりません。

これが、『慰安婦神話の脱神話化』の制作の姿勢ですが、この点を評価してくださっており、大変ありがたい記事です。

お待たせしている第二部、もう少しだけいじらせてください。必ず数日内にアップします。

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2013年5月21日 (火)

慰安婦問題と二元的思考

『危機に瀕する日本』日韓紛争概説第二巻: セックスと嘘と従軍慰安婦

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西村幸祐氏や百田尚樹氏はじめ、多くの方にツイートいただいたようです。

「驚くほどよく作っている」と評していただいた上の動画ですが、作者として、最も満足している部分は下の慰安婦問題を図式化した部分です。

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上の図式は、「制度」の問題と「運用」の問題という二つの階層に問題を分離することによって、従来陥りがちだった、慰安婦問題の二元的な問題設定を脱することに成功している点で、優れていると考えています。

最近は、TPPや安倍政権の問題と関連して「二元的思考」の危険性について警鐘を鳴らしてきたWJFプロジェクトですが、同じ事は慰安婦問題についても言うことができます。

慰安婦問題は、下のような二元的な問題として論じられることがあまりに多いのです。

「あったか、なかったか」
「志願か強制か」
「売春婦か性奴隷か」

この「二元的思考」は、西村真悟氏の慰安婦問題に関する最近の発言の中にもあらわれています。彼は次のように述べられました。

「慰安婦がセックススレイブという風に転換されていますので、これが国際的に広がれば反日謀略が成功しかねないということですから、我々積極的に、売春婦とセックススレイブは違うんだと。売春婦はまだ日本にうようよおるぞと、韓国人。反撃に転じた方がいいと思う。」

西村氏が、慰安婦問題と連続した問題として、韓国人の売春婦が日本に跋扈している事実を取り上げた点は決して誤ってはいないのですが、問題は「売春婦とセックススレイブ(性奴隷)は違う」という発言です。

世界では、売春業の世界に、人身売買の犠牲者や貧困のため仕方なく体を売らざるを得ない女性が紛れ込んでいるのが現状ですから、「売春婦とセックススレイブは違う」という二元的思考によっては、売春や慰安婦問題といった問題を正しく国際社会に説明することができません。

また、慰安婦問題は、100%韓国人による捏造であり、当時、一例も、慰安婦問題の運用に関して末端の兵による違反事例がなかったと誤解している人たちが多くいますが、これは事実ではありません。「一例も違反はなかった」とする、事実と異なる主張を行うことによって、日本側の主張の信憑性を奪ってしまっています。

このような二元的思考が、慰安婦問題を正しく理解し、説明することを妨げてしまっています。

ここでも、私たちは、単純な二元的思考を脱して、事実と向き合う姿勢が大切です。

このことは、特に慰安婦問題のような繊細で複雑な問題を論じるときに求められる姿勢であると思います。

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2013年5月18日 (土)

橋下徹氏や西村真悟氏による昨今の発言について

『慰安婦神話の脱神話化』第一部に最近、寄せられたコメントです。アメリカの日本のポップカルチャーとパソコンが大好きな青年からのコメントのようです。

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「やっとわかったよ。13:40が、第二次世界大戦の「本当の性奴隷」のことなんだね。念のため、歴史学を専攻している仲間と議論してみるよ。とても興味深い動画だ。」(Jojihkun)

「つまり、個人によって引き起こされたいくつかの特殊なケースによって問題全体を一般化してはならないということなんだ。それらの不孝なケースは、日本政府の命令に従った結果ではなく、規則を破ることによって、起きたものであることを僕たちは留意しなくてはならない。理解してくれてありがとう。」(WJF)

理路整然とていねいに説明すれば、必ず伝わることなのですが、「慰安婦は高給取りの売春婦に過ぎない」というおおざっぱな説明や、「あったかなかったか」という単純な二元的な問いに集約させてしまうことによって、誤解は広がっていくばかりです。

橋下徹による発言に対してアメリカが怒っている理由は、Maria Höhnと、Seungsook Moonの共著による論文集 "Over There: Living with the U.S. Military Empire from World War Two to the Present"の11章 "Camptown Prostitution and the Imperial SOFA" (「キャンプタウンにおける売春と、帝国主義的な地位協定」)を読むと分かります。

21世紀になっても、在韓米軍のキャンプタウン周辺では、E-6ビザという、実質的には在韓米軍のために働く「エンターテイナー」を海外から調達するために韓国政府が設けた特別な入国制度を使って、就職詐欺や人身売買によって集められたフィリピンやロシアの女性たちが売春婦として働いていました。米軍や韓国政府による性病検査の強制など実質的な管理売春が行われていました。その後、マスコミに暴露されて、ゼロトレランス方式によって人身売買や売春は禁止されましたが、今度起きたのは、「エンターテイナー」の女性たちとの偽装結婚や遺棄、暴力といった問題です。橋下の発言がセンスを欠いていたという点もありますが、アメリカとしても、触れられては困る話題なのです。

私は、基本的には、政治家が安易に、過去の歴史問題について「あった」とか「なかった」と口にすべきではないと考えます。政治家は歴史家ではないのですから、歯科医師でない政治家が歯槽膿漏について語る資格がないように、歴史家でない政治家は安易に歴史問題について口にすべきではありません。政治家の仕事は「過去」の問題について論評することではなく、あくまで国や自治体が「現在」直面する問題を解決することだと考えるからです。日本の政治家が過去の歴史問題を言及して、正しい理解が国際社会に普及したという例が過去に一例でもあるかと言えば、私は寡聞にしてそのような例を存じ上げません。むしろ日本の立場が誤解されて終わった例ばかりではないでしょうか。政治家自らが直接口にするよりは、WJFプロジェクトのような民間の活動を支援したり、戦略的な歴史研究や国際的な情報発信のための環境整備を行っていただきたいと思います。

しかし、米軍基地周辺の女性の安全という問題にせよ、韓国からの売春婦が跋扈しているという日本の都市の現状にせよ、日本が「現在」実際に抱えている問題なわけですから、アメリカや韓国は、日本の過去の問題ばかりほじくりかえすのではなく、現在目の前におきている自らの問題の解決に努めよと日本の政治家が問題提起を行うことは決して的はずれな議論ではないと思います。大切なのは、それをどう国際社会が分かりやすいレトリックで料理し、議論を展開するかです。

「『慰安婦神話の脱神話化』第三部: 実際に何が起きるべきなのか」は、まさに両氏が提起しようとしたこれらの問題を、海外の人々に分かりやすい形で、注意深く論じていく予定です。

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2013年4月26日 (金)

フランスで放送された慰安婦ドキュメンタリーの日本語訳

先日、フランスの民放テレビ局TF1で、慰安婦に関する短いドキュメンタリー番組が放送されていたことをお伝えしましたが、日本語訳を作成しました。

日本でも視聴可能な下のリンクを教えていただきました。
http://www.wat.tv/video/tresor-national-5y1f1_2flv7_.html

国宝

彼女たちは、韓国でもっとも有名なおばあさんたちである。いわば国宝である。韓国全体で63名しか生き残っていない。韓国は、彼女たちを、国の中心人物のように大切に扱っている。彼女たちが人々の前に姿を見せるだけでも、一大イベントとなる。国の休日である三一節では、四世代の人々が彼女たちの周りに集まる。

「ハルモニ、こちらにお座り下さい。」

人々は彼女たちのことを「ハルモニ」と呼ぶ。おばあさんを敬って呼ぶときに使う言葉である。

「ハルモニ、私たちは、あなたたちを愛しています。」

聴衆は、頭の上に掲げた手でハート形を作り、韓国で最も優秀な学生たちがプレゼントを手渡す。おばあさんたちに拍手が送られる。

長い間忘れ去られていた国家の殉難者たちである、この被害者たちに、贈り物がわたされる。彼女たちの皺の向こうに、1930年代にさかのぼる過去の記憶の悪夢が姿を現す。

彼女たちは、十代の少女だった時、日本軍によって拉致され、アジアの各地に存在した「慰安所」と呼ばれた小さな家屋へと移送された。ちょうどこのような小屋である。そこで、一日中、彼女たちは性奴隷として日本兵たちに奉仕した。日本兵たちは、彼女たちを「韓国のヴァギナ」と呼んだ。この構想全体は、天皇によって確立されたものだが、1945年8月の日本の降伏まで続いた。

20万人の女性がレイプされ虐待された。李さんはその一人である。87歳の彼女はいまだに過去の記憶に苦しんでいる。彼女が今日暮らしている老人ホームの部屋にはさまざまな写真が飾られているが、彼女は悲劇的な過去の記憶だけを思い出す。

「これが私です。解放されて、慰安所から出てきたときに撮ったものです。戦争が終わったとき、私は21歳でした。これは私がその頃に撮った唯一の写真です。」

悲劇は1940年の9月に始まった。日本兵によって中国に移送され、牛のようにトラックで輸送され、慰安所のある土地に着いたときに、彼女はショックを受けた。

「それは屠殺場でした。人間のためのね。たくさんの少女たちがひしめき合っていて、11才や、12才や、13才や、15才の子たちといった、幼い子たちもいました。どうしたらこのおそろしい残虐な場所を描写できるでしょうか。40人の兵士が同じ14才の女の子をレイプしているところを想像してください。それが彼らが私に対してしたことなんです。私たちには他にどうすることもできませんでした。これをするか、死ぬしかなかったんです。」

李さんの苦しみは、3年間続いた。1945年に解放されると、彼女は途方にくれた。韓国の農家の生まれだったこの女性は故郷にはもどらなかった。彼女は中国に残ってそこで結婚した。他の生存者と同じように彼女は、46年間自分の過去を隠し続けた。

タブーをやぶったのは、この女性だった。彼女もまた中国に移送された。彼女も慰安所での地獄のような日々を耐え忍んだ。1991年に金さんは世界にむけて自らの体験を語った。彼女の証言は国中に大きなショックを与えた。

この時、27才の学生だった尹美香はショックを受けた。彼女はプロジェクトを立ち上げ、生存者を捜し出すことに人生を捧げることにした。彼女は、無料でかけられる電話番号を設置した。何年もの間沈黙を保っていた数百人の年老いた元慰安婦たちが、彼女に電話をかけてきた。

「これらの女性たちは、基地での唯一の生存者であったため、自分のことをこの悲劇を生き延びた唯一の人間だと考えていました。このおかげで、彼女たちは新鮮な空気を吸うことができるようになったのです。私は、最初に電話をかけてきた人たちの名前と住所を控え、彼女たちに会いにいきました。そこで初めて、彼女たちは沈黙をやぶったのです。」

極限まで虐待を受けたせいで、これらの女性のほとんどは妊娠し子どもを作ることができず、また韓国には戻らなかった。それから50年後に、帰還運動がたちあげられた。これらの女性たちを受け入れる特別な老人ホームが設置され、李さんも現在そこに暮らしている。一人一人が自分の部屋をもっており、毎週土曜日には鍼治療が行われる。

「こんなふうに鍼をさしたら痛いですか? 」

「いいや、とても気持ちがいいよ。気持ちがいいからやってくれるんだからね。」

美容トリートメントを受ける権利をもつ女性もいる。

「ハルモニ、顔に何をつけているのですか?」

「きれいになるために、肌を白くしてるんだよ。」

毎月、彼女たちは国から、500ユーロを受け取っている。老人ホームの滞在費用は無料である。彼女たちは、過去に失った時間を取り戻そうとするかのように、ここでの日々を満喫している。

「ハルモニが先だよ。」

彼女たちが10年前にここにたどり着いたとき、ハルモニたちは、お互いを全く知らなかった。今日、彼女たちは、87才の姜さんのような強いリーダーをもつ小さな共同体の中で暮らしている。姜さんは部屋をきれいに飾って、自分がハルモニたちの女王であるように見せるのが好きだ。

「私は日本からも贈り物を受け取っているんだ。ここでこんな物を持っているのは私だけだよ。私は二つ持っているんだからね。これは悪い霊を追い払ってくれるのさ。他のハルモニたちは、こんなものを持ってはいないよ。他の人たちの部屋を見てきたらいい。彼女たちはこんなものもっちゃいないから。」

しかし、すぐに、姜さんの目は涙で曇る。彼女は中国に移送されたときには、16才だった。

「連中は、私を乱暴に捕まえて、何の説明もしないで、トラックに無理やり乗せたんだ。私が拉致されたときには、家に誰もいなかった。私は両親にさよならも言えなかったんだ。誰も何も見なかったさ。私は台所に隠れようとしていたんだ。でもすぐに彼らに捕まっちまった。」

「あなたは日本人のことを怒っていますか?」

「日本人なんか大嫌いさ。軽蔑するね。軽蔑するどころじゃないよ。死ぬほど憎いよ。無理やり両親や故郷の村から引き離されちまったんだからね。嫌いだよ。軽蔑するよ。」

これらのハルモニたちを最も傷つけているのは、日本がこれらの犯罪行為を決して認めないことである。日本の教科書さえ、そのことに触れてはいない。だからこそ、これらのハルモニたちは、最後の戦いを先導しているのである。許すための戦いを。

外の気温は、摂氏マイナス10度。しかし、ふだんの水曜日と同じように、吉さんはデモに出かける。20年前から、すべてのハルモニたちはソウルの中心部に位置する日本大使館の前で毎週集会を開いている。吉さんは、このデモに一度も欠席したことはない。ふだんの水曜日と同じように、数百人の学生が彼女に会いに集まっていた。

「わざわざ来てくれてありがとうね。」

この日、他のハルモニたちは、とても疲れていたため、この日、スピーチをしたのは、16才の時に満州に移送された吉さんだけだった。

「窓の向こう側にいる日本大使館の人たちは、ここで何が起きているのかを知っているはずです。毎週水曜日にデモが開かれていることを。私は、日本が謝罪するのをいまだに待ち続けています。日本が私たちに対して犯した犯罪を認めることを。私はみなさんが、この戦いを一緒に続けてくださることを願っています。どうも、ありがとう。」

ハルモニたちは、1000回以上デモを続けてきた。

「私たちのハルモニに謝れ。デモを行おう!」

過去67年間、日本は一度も謝罪していない。吉さんは、次の水曜日もここに来る予定である。

Ce sont les grands-mères les plus célèbres de Corée. Un trésor national. Il n’en reste que 63 dans le pays, et la Corée y tient, comme à la prunelle de ses yeux.
Chacune de leurs apparitions en publique est un petit événement. Ce premier Mars, pour la fête nationale, quatre générations sont réunies autour d’elles.
« Grand mère, asseyez vous la ».
Tout le monde les appelle les halmeoni, un terme respectueux et affectueux qui veut dire grand-mère.
« Halmeoni, on vous aime ! »
Les bras sur la tête pour former un cœur, des petits cadeaux offerts par les lycéens les plus brillants du pays. Elles sont applaudies, adulées.
L’hommage d’une nation à des femmes victimes, des martyrs de guerres longtemps oubliées. Derrières ces rides, l’enfer de souvenirs qui remontent aux années 30. Alors qu’elles étaient à peine adolescente, elles ont été kidnappées par l’armée japonaise et déportée dans toute l’Asie dans des maisons dites de réconfort, des baraquements comme celui-là, ou a longueur de journée, elles servent d’esclaves sexuels aux soldats japonais. Ils les appellent crûment, les vagins coréens. Un système instauré par l’empereur en personne qui durera jusqu'à la capitulation du Japon en aout 1945.
200000 femmes ont été ainsi violées et torturées. Parmi elles, Madame Yi. A 87 ans elle est toujours hanter par son passé. Dans la maison de retraite ou elle vit aujourd’hui, sa chambre douillette est tapissée de photos mais elle ne conserve qu’un seul souvenir de cette époque tragique.

« C’est moi, je l’ai prise à la libération. Quand je suis sortie de la station de réconfort. J’ai 21 ans, c’est après la fin de la guerre, c’est la seule que j’ai de cette époque »
La tragédie de Yi a commencé en septembre 1940. Déportée en Chine par les soldats japonais, transporté par camion comme du bétail, quand elle arrive à la station de réconfort c’est le choc.

« C’était un abattoir. Un abattoir à être humain, un abattoir. Il y avait plein de filles, même de toutes petites. De 11, 12, 13, 15 ans. Comment je peux vous décrire cet endroit atroce. Imaginez 40 soldats qui violent toute une journée une fille de 14 ans. C’est ce qu’ils m’ont fait. On n’avait pas le choix, c’était ça ou mourir »
Le calvaire de Yi va durer 3 ans. A sa libration en 1945, elle a honte. Cette petite paysanne du sud de la Corée n’ose pas rentrer chez elle. Elle reste alors en Chine et se marrie. Comme toute les autres survivantes, elle va taire son passé pendant 46 ans.
C’est cette femme qui va briser le tabou. Elle aussi a été déportée en chine, elle a aussi a connu l’enfer des stations de réconfort. En 1991, Kim Akson raconte publiquement son calvaire. Son témoignage crée un électrochoc national.
Une étudiante de 27 ans à l’époque, Mi yang yun, est alors bouleversée. Elle se lance dans un projet, retrouver les survivantes et en fait le combat de sa vie. Elle met en place un numéro vert, des centaines de femmes de réconfort, silencieuses depuis des années, appellent.

« Comme ses femmes étaient les seules survivantes de leurs camps, elles pensaient qu’elles étaient les seules à avoir survécu à ce drame. Et ça à donner une sorte de souffle d’impulsion. Et donc une, deux personnes se sont manifestées, et moi dans mon bureau, je répondais au téléphone, je prenais les noms, les coordonnées des grandes mères, j’allais les voir, et pour la première fois elles se confier.
Leur regret, à cause des tortures la plupart n’ont pas put avoir d’enfants, et elles ne sont jamais rentré en Corée. 50 ans après, des rapatriements sont alors organisés.
Des maisons de retraites sont spécialement créer pour les accueillir, comme celle ou vit madame Yi aujourd’hui. Chacune a sa chambre.
Tous les samedis, elles ont une séance d’acupuncture.
« Ça vous fait mal quand on vous piques comme ca ? »
« Ah non ca me fait du bien, c’est pour ca qu’on le fait »
Les plus coquettes ont même droit à des soins de beauté.
« Grand-mère, vous avez quoi la sur le visage. »
« C’est pour blanchir ma peau, pour être belle. »
Chaque mois elles reçoivent 500 euros de l’Etat. L’hébergement ici est gratuit. Elles sont dorlotées, comme si la Corée voulait rattraper le temps perdu.
« Laissez la place aux grands-mères d’abord. »
Quand elles sont arrivées ici il y a dix ans, ces halmeonis ne se connaissaient pas. Aujourd’hui elles vivent comme une petite communauté avec ces fortes têtes, comme Madame Kung, 85 ans.
Dans sa chambre qu’elle décore avec soin, elle aime montrer qu’elle est la plus populaire des halmoenis.
« J’ai même des cadeaux qui viennent du Japon. Y’a que moi qui ait ça ici. J’en ai deux. Ils mangent les mauvais esprits. Les autres halmoenis n’en ont pas. Vous pouvez regarder dans toutes les chambres, elles n’en ont pas. »

Mais rapidement les yeux de Kung se voilent. Elle avait 16 ans quand elle a été déportée en chine.
« On m’a attrapée brutalement et forcée à monter dans un camion sans rien m’expliquer. Quand j’ai été kidnappée, il n’y avait personne chez moi. Je n’ai même pas put dire au revoir à mes parents. Personne n’a rien vu. J’été dans la cuisine, j’ai essayé de me cacher, mais ils m’ont attrapé »
« Est ce que vous êtes en colère contre les japonais ? »
« Je les hais, je les déteste, encore plus que ca je les déteste à en crever »
« J’ai été obligé d’être séparer de mes parents, et aussi de mon village natal. Je les hais, je les détestent ».
Pour toutes ces grands-mères le plus humiliant, c’est que le Japon n’a jamais reconnu ses crimes, même les manuels scolaires nippons n’en parlent pas. Alors les halmoenis mènent un dernier combat, celui du pardon.
« A toute a l’heure »
Il fait -10 dégrée dehors, mais comme tout les mercredis, Gill, 84 ans va manifester.
Depuis 20 ans, les halmoenis se donnent rendez-vous toutes les semaines devant l’ambassade du Japon, en plein cœur de Seoul. Gill n’a jamais raté une seule fois cette manifestation.
Comme chaque mercredi une centaine de collégiens et lycéens sont venu pour l’encourager.
« Oh, merci de prendre du temps pour venir ici »
Aujourd’hui les autres halmoenis étaient trop fatiguer. Gill qui a été déporté à 16 ans en Manchourie, est la seule à donner de la voix.
« Il faut que les gens de l’ambassade du Japon, derrière leur fenêtre, disent ce qui se passe ici, qu’il y a une manifestation tous les mercredis. Moi j’attends que le Japon s’excuse, qu’il avoue les crimes qu’il a commis à notre égard. Je voudrais que vous continuiez à vous battre pour nous. Merci »
Ces grands-mères ont manifesté plus de 1000 fois dans cette rue devant les fenêtres de l’ambassade.
« Des excuses officielles ! Dites pardon à la grand-mère ! Manifestons ! »
Depuis 67 ans, le japon n’a pas bougé d’un cil. Gill, elle, sera encore la mercredi prochain.

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2013年4月18日 (木)

フランスの民放テレビ局TF1で慰安婦のドキュメンタリー番組が放送される

フランスの民放テレビ局TF1で、慰安婦のドキュメンタリー番組が放送されていたそうです。

TF1のサイト上に番組が公開されていますが、残念ながら、日本からはアクセスできません。

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なんとか動画を入手して解析を進めたいと思います。

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2013年4月 1日 (月)

我々は何を掲げ、何を語るのか

今、旭日旗の問題が話題になっています。

【旭日旗】「日本の戦犯旗をロゴに使った会社が謝罪」~イギリス留学の韓国人女子学生が話題に

■ 『旭日昇天旗』の寿司会社が修正を約束して“凱歌”

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イギリスの韓国人留学生が日本の戦犯旗をロゴとして使うある寿司会社から、是正の約束を受けた事情がインターネット空間で話題になっている。『グローバルwebマガジン』ニュースロー(www.newsroh.com )は30日、北アイルランドの首都ベルファストに交換学生として行っている韓国人女子学生が、寿司弁当会社を相手にした凱歌を紹介して注目を集めた。

ID『パワー布徳』を使用するこの女子学生は、最近町内の便宜店(以下、コンビニ)で日本の戦犯旗である旭日昇天(Rising Sun)の名前と象徴を使った寿司弁当を見つけた事が、行動に乗り出したきっかけとなったと紹介した.。彼女は、「こんな物がコンビニで堂々と売れているという事に火が出たり(頭に来たり)、こんな物を使って文化マーケティングする日本も本当に悪く、余り知らずに良いと使う外国人を考えると気に障った」と語った。

数日後には更に情けない事態が発生した。通学している学校の学生会館の売店がこの会社と契約を結び、売店の至る所で『Rising Sunの寿司入荷』という案内と、一方の冷蔵スペースに戦犯旗の弁当がたくさん積まれているのである。歴史を専攻したというこの女子学生は、すぐに家に帰って問題の弁当会社を検索、2011年に創業した会社という事を知った。Facebookのページに入ってメールを送った。

「私はクィーンズ大学に通う韓国人学生です。あなた会社の製品に付いた旭日昇天旗を見て驚きました。あなた会社のロゴは日本が第二次大戦の時に使用した旗で、ヨーロッパのナチ旗と全く同じで戦争犯罪を象徴しています。以下の資料を読んで名前とシンボルを変える事を考慮してください」

数日後に返事が来た。

「こんにちは、私の名前はジョナサン・ダンカンでRising Sun寿司の社長です。私たちのロゴに込められた文化的背景を知って本当に驚きました。添付された文章を読みながら、また、私たちのロゴが人々にどのような気持ちを持たせていたかを考えるととても恐ろしかった。私の無知に対して本当に申し訳ございません。最大限早期にロゴを変える事を約束します。このような事実を教えていただき本当にありがとうございます。これのせいでショックを受けたならお詫び致します」

彼は引き続きもう1通のメールを通じ、

「私たちはまだ始めてから1年を少し過ぎた新しい会社のため、(私たちのロゴが)非常に多くの人々を不快にしなかったらと思います。この敏感な問題を最大限早期に修正するようにします」

と更に約束した。翌日もドンコン社長は、後続措置に関する内容を知らせるなどの誠意を見せた。

「デザイナーに旭日昇天旗に関する背景事実に関して話しました。ロゴを再びデザインする事にしました。しかしwebサイトとラベル(パックに付けるシール)、自動車、看板など、直さなければならないものが多く、デザインをして注文して直すまで時間が少し掛かるということを了解して欲しいと思います」

この女子学生は、「率直に言うと大して期待はしていなかった。そのまま知らなかったら知らせてあげたかった。そしたら積極的に謝罪してすぐに変える事になったのでなんだか感動が押し寄せてきた」と語った。引き続き、「私によって1人(職員や他の人たちも知る事になったので更に多く !! )がこのマークの真実に対して知る事になり、我々の痛い歴史を知る事になって胸がいっぱいだ。今後ともこのような事実がもっと広がったら良いだろう」とインターネットに掲載した理由を説明した。

今日のユーモア( www.todayhumor.co.kr )に載せられたこの事は、現在、問い合わせ件数3万5000件を超えてネチズンたちの賞賛のコメントがあふれている。

「愛国されています。他国で苦労している時に国のために時間を作った事。この国の国民は本当に感謝しています」、「わー、勇気を出した事も凄いけど、社長がそのように応じるとは!。ロゴを変えるという事は会社のシンボルを変えるという事で、最初から会社を変えるのと同じような打撃なのに・・・。素敵ですね、熱くなりました(涙)」、「国家がすべき事を個人がするなんて!素晴らしい(笑)。作成者と同じくこの会社も概念を持ってカッコいいですね」、「うわーよくやりましたww誇らしい韓国人!それにむやみにに怒る事もなくすごく上手く言いました(笑)ところで韓国企業にこのような件を入れたら、すごく気に入らないというような回答がくるみたいだ(笑)」

ソース:NAVER/ニューヨーク=NEWSIS(韓国語)

旭日旗の問題の本質は、他の人々が何を掲げ、何を語るかではありません。

旭日旗の問題の本質は、日本人である我々が何を掲げ、何を語るかです。

私たちが旭日旗の意味を語るのは、外国の人々に旭日旗を愛好してもらったり、意匠として利用してもらうためではなく、私たち自身が、国家として、堂々と旭日旗を掲げ続けるためです。

とするならば、イギリスの弁当屋が旭日旗を掲げようと、韓国人の学生に言われてそれを取り下げようと、私たちには関係のない話であると言うこともできます。

我々の国、日本国が粛々と旭日旗を掲げ続け、我々日本人が旭日旗の意味を正しく語り続ければ、それで話は尽きる問題です。

その問題の本質を忘れて、外国人に旭日旗を利用してもらうために、奔走することのないようにしたいものです。

予想されるのは次のような予定調和です。

(1)「いつものパターン」で韓国人が騒ぐ
(2)「いつものパターン」で日本の「保守」がそれに応じる
(3)「いつものパターン」で、海外メディアの注目を浴びる

同じことは慰安婦問題など、他のあらゆる日韓の問題についても言うことができます。

他の人々が何を掲げ、何かを語るかは大きな問題ではありません。

我々が何を掲げ、何を語るかが、唯一のそして究極の問題です。

(本来であれば、日本の神聖な軍旗が、外国の弁当屋の意匠に身を落としている事実に、日本人の側から怒る声があがってもいいのかもしれません。韓国人が旭日旗を使わないようにと世界中で呼びかけていることよりも、私たちの軍旗が外国人によって軽々しく扱われていることの方がはるかに深刻な問題なのかもしれません。外国人が、日本の軍旗の意匠の日常の中で好んで使用している現在の事実は、果たして彼らが日本を征服し無力化させた歴史的事実と完全に無関係と言えるでしょうか。世界の軍旗の一覧の中で、意匠として一般の外国人に親しまれ使われているのは、日本の軍旗だけですが、このことの意味を今一度掘り下げて考えてみた方がよいと思います。外国人に自分たちの軍旗を軽々しく扱われても、そのことには気分を害することなく、むしろそれをやめろと呼びかけている韓国人に腹を立てている私たちの感覚は完全に倒錯している可能性すらあるのです。この点において、WJFプロジェクトの旭日旗の動画を、点検し直す必要を感じています。)

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