マスコミ

2013年2月12日 (火)

浅田真央選手を守れ(最終回)

このシリーズはしばらくお休みしていました。

これまで、浅田真央選手の直面する困難を通して、日韓のさまざまな問題を考察してきました。

日韓がなかなか融和できない、歴史的、文化的な背景があることを見てきました。

「良賤制」という、朝鮮の伝統的な身分制によって「対称性の構図」を日韓の間に作り、私たちから搾取しようとする彼らの傾向。

「事大主義」という伝統的な外交姿勢により、海外でさまざまなロビー活動を行い、私たちを囲い込もうとする彼らの傾向。

韓国が、歴史的、文化的に抱えるこれらの傾向により、私たちの国は悩まされてきました。

最終回の今回は、「ではどうするのか」という問題を考えて、締めくくりたいと思います。

実は、この問への答えを、私たちは、浅田選手自身から学ぶことができます。

苦悩と迷いの日々を突き抜けて、二年ぶりにトリプルアクセルを成功させた、浅田選手自身からです。

彼女はどのように、この苦難を乗り越えたのでしょうか。

キムヨナ選手を憎むことによってでしょうか。

不正な審判に不平を言うことによってでしょうか。

そうではなく、自分の中にある深い「根」を見つめ、丹念に水をやり、芽吹かせることによってではなかったでしょうか。

その芽が一本の力強い樹木として成長し、再び真っすぐに大地に立つことができた。

それが、今回の彼女のトリプル・アクセルの成功ではなかったでしょうか。

そして、まっすぐに立ち上がった一本の樹木は、この森の中で、今度は、周りの木々を風や嵐から守り、その成長を支えてくれます。

であるならば、私たちが浅田選手のためにできること、またすべきこと、それもまた、私たちの心の中にある「日本の根」を見つめ、それに丹念に水をやり、芽吹かせ、一本のまっすぐな樹木として成長させること以外にあるでしょうか。

私たちが、そのような樹木として力強く立つことができるとき、今度は、浅田選手をこの森の中で、嵐や暴風から守ることになるでしょう。

私たちは、縄文から繁茂しつづける一つの森です。

しかし、この森には、今大きな危機が迫っています。

TPP、道州制、移民、消費税増税・・・

森を根こそぎ枯らしてしまおうとする不正な力が、今、加えられようとしています。

この危機の中で、森を守り続けるためには、私たちが、心の中に宿している「日本の根」を芽吹かせて、一本のまっすぐな樹木として成長させるしかない。

日本人が本当の意味で「日本人」として目覚め、再生し、立ち上がることによってしか、この困難を乗り越えることはできない。

この森の中で、ほかの木々に囲われ守られながらも、私たち一人一人が、一本の木として、自分の力で、大地に再びまっすぐに立たなくてはならない。

他国を憎悪したり、

他国の悪口を言い続けたり、

一つの政党を狂信したりすることによっては、

縄文から続くこの森を、この危機の中、繁茂させ続けることはできないと思います。

浅田選手が、自分の中の「日本の根」を、丹念に芽吹かせ、一本の木にまで地道にまっすぐに育て上げた、その復活の姿に見習いたいものです。

このシリーズの結論です。

浅田真央選手及び日本は、わたしたち自らが、一人の「日本人」、一人の「浅田真央」となることによってのみ、守られる。

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2012年12月24日 (月)

浅田真央選手を守れ(9)

浅田真央選手の問題を通して、日韓の問題のカラクリを考え、正しい対処法を探るシリーズ九回目です。

浅田選手の全日本選手権の優勝、おめでとうございました。
リラックスした、すてきな笑顔が見られていますね。100年前の日本人を描いた下の記述そのままの笑顔です。

「日本を旅すると、人々の持つある種の陽気さに慣れてくる。日本女性の目は、ほとんど常に愛想の良い快活さが宿っており、楽しそうにきらめいている。そしてこちらもつい微笑み返さずにはおれなくなる。彼女たちにとっての人生は、まるで遊びやピクニックであるかのように見える。 」(G. W. ギルモア, 1892)

本題に入りましょう。

清王朝に事大した李氏朝鮮。

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日本に事大した日韓併合時代。

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現在の韓国・北朝鮮の国際関係は下のように描くことができるのではないかと思います。

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韓国・北朝鮮の他国への意識や態度をいくつかのパターンにまとめると、四種類の態度が浮かび上がるのではないかと思います。

(1)事大する
(2)王位を競う
(3)搾取する
(4)蔑視する

本論ではあくまで、韓国・北朝鮮の「(3)搾取する」態度が向けられる日本との関係に集中して考えたいと思います。さて、韓国はどうして執拗に歴史問題を日本に問い、そして賠償を求めるのでしょうか。次のように考えられないでしょうか。

「お前たち日本人は犯罪者であり、戦争に負けて失墜した元支配者であり、今や賤民の地位に貶められた身分である。したがって、我々はお前たちを搾取する資格があるのだぞ」という身分の違いを、繰り返し、繰り返し、私たち日本人に再確認させるためであると。

類似した例として、韓国の歴代大統領が退任後や任期の末期に、投獄されたり追放されたり死刑判決を受けたり暗殺されたり自殺に追い込まれるなどの過酷な運命を経験しなくてはならないことを思い出していただくと、彼らのこの感覚は分かりやすいかもしれません。朝鮮では、犯罪者や、失墜した前王朝の支配階級は賤民の地位に転落しました。退任した大統領は、他の国では尊敬の対象となりますが、朝鮮の伝統的な思考では前王朝の支配者は「賤民」として扱われます。日韓併合時代に「支配者」であった日本人も、今や同じ感覚で見なされていると考えることはできないでしょうか。

また韓国はどうして、わざわざアメリカで反日プロパガンダにいそしみ、日本の「戦争犯罪」に関する話を執拗にばらまこうとするのでしょうか。かつて事大していた中華王朝から、賤民たちの搾取や生殺与奪の資格を与えられてように、現在の事大先であるアメリカから、いまや賤民の地位に身を落とした日本人から搾取し生殺与奪する資格を保証してもらおうとする、彼らの伝統的な事大主義の姿勢が反映されていると考えることはできないでしょうか。

反日プロパガンダを通して、彼らが世界に、ことに現在の事大先であるアメリカに対して執拗に訴えようとしていのは、実は次のメッセージではないでしょうか。

「日本人は犯罪者であり、失墜した我々の前王朝の支配階級である。したがって今や彼らは我々の賤民の地位に身を落とした。我々は彼らの搾取と生殺与奪の資格を得たのだ。そのことを認めていただきたい。」

日本人が、どうして「賤民」として、韓国や北朝鮮の一部とみなされるのかといぶかしく思われる方もいるかもしれせんが、中国の「征服王朝」の例を思い起こしてみてください。モンゴル人や満州人のように、中原の地に足を踏み入れて支配者となった民族は、王朝が倒れて、元々の土地にもどったあとも、最終的には中華の一部に組み込まれてしまいました。例えば、「駆除韃虜、恢復中華 (満州人を駆除し、漢民族の国家を回復する)」をスローガンにしていた辛亥革命によって清王朝が倒れたあとは、一転、スローガンは「五族共和」に置き換わり、モンゴル人や満州人たちも「中国人」にさせられてしまいました。今の中華民国(台湾)ですら、モンゴル国の全域すらも中華民国の正当な一部であると主張しています。私たち日本人には理解できない感覚ですが、これが中華的意識です。

この中華的意識を、現在の韓国人や北朝鮮が何らかの形で引き継いでいるとしたら、彼らが、一旦は朝鮮の支配者の地位にあった日本人を、いまや「賤民」階級に身を落とした自分たちの一部であるかのように感じているとしても、なんら不自然なことではないのではないでしょうか。

北朝鮮による拉致問題も、このような文脈の中で理解すると分かりやすいかもしれません。日本人が彼らにとっての「賤民」階級なら、拉致して彼らの目的のために奴隷のように働かせることなど彼らにとっては当然のことです。

「対称性の構図」の中に、私たち日本人を執拗に組み込み搾取しようとする彼らの姿勢、執拗なパクリと起源主張、賠償要求、彼らがアメリカに建てようとする無数の慰安婦碑、日本海という名前を消し去ろうとする態度、北朝鮮による拉致問題、これらすべての韓国や北朝鮮による「反日的」と呼ばれる行動の背後には、「事大主義」と「良賤制」に由来する、私たち日本人を「賤民」として見なし扱おうとする意識が深層に隠れていると考えることはできないでしょうか。

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2012年12月22日 (土)

浅田真央選手を守れ(8)

浅田真央選手の問題を通して、日韓の間に発生する問題全般のからくりを解き明かし、その解決法をさぐっていくシリーズ。

1. なぜキムヨナは不自然な高得点を取るのか
2. なぜ日本のマスコミは浅田選手とキムヨナの二人をいつもセットにして取り上げるのか

これまでは、2の日本国内における日本のマスコミの取り上げ方の不自然さを取り上げ、その背後には、朝鮮の「良賤制」という身分制度に根ざす、韓国の「対称性の構図」戦略があることを説明してきました。

これからは、1のなぜキムヨナは不自然な高得点を取るのかという問題を考えていきます。今度は朝鮮における「事大主義」という伝統的外交戦略が前面に出てきます。

1. 「事大主義」
2. 「良賤制」

この二つで韓国の「反日」と呼ばれる傾向性や活動のからくりのほぼ全て説明することができます。そしてこの二つは表裏一体であり、密接な関係で結びついています。

1. なぜキムヨナは不自然な高得点を取るのか
2. なぜ日本のマスコミは浅田選手とキムヨナの二人をいつもセットにして取り上げるのか

この二つの現象が表裏一体であり、密接に結びついているように。

「事大主義」とは何でしょうか。言葉の意味は「大きなもの」に「事(つか)える」。大きな国に従うという朝鮮の伝統的外交姿勢のことです。具体的には、中国の各王朝に朝鮮は「事大」してきました。

この「事大主義」は、「良賤制」という朝鮮の身分制度と密接な関係をもっています。
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左側の「良民」は、中華王朝に朝鮮が「事大」することによって、中華体制の正当な構成員として見なされます。大切な点は、「朝鮮」の構成員なのではなく、中華の一部としての「朝鮮」の構成員であることです。つまり中華の構成員なわけです。そして、この中華の構成員の資格を手に入れることによって、残りの半分の文明の外側にいると見なされる「賤民」を家畜のように売買したり支配したり搾取したりする資格を手に入れます。ちなみに、中華体制の外側にいる民族も、「夷狄」として「賤民」と同じく文明に属さない存在と見なされていました。

中華王朝にとっては、このように周辺国の民族を「良民」と「賤民」のふたつに二分することにより、民族の団結や反乱を抑え、平和的に支配することができますし、事大する朝鮮の支配階級にとっては、自分たちは「中華」という文明の一部であるという特権的な立場を手に入れて、残りの「賤民」を好き放題に利用する資格が得られ、中華王朝と朝鮮の支配階級、その両者にとって「おいしい」制度だったわけです。

ハーバード大学の朝鮮史の教授、カーター・J・エッカートの『日本帝国の申し子』には次のように書かれています。

事大主義の遺産

朝鮮の学者は南北を問わず、ナショナリズムという見地から朝鮮の歴史を説明しようとする。しかし朝鮮におけるナショナリズムは歴史が浅く、19世紀後半に帝国主義への反動から生まれ、植民地統治の経験を経て強まったものである。もちろんそれまでにも朝鮮人は民族、言語ともに周囲の国とは異なることを自覚していたし、王や支配王朝に対しても忠誠心を抱いていた。しかし、19世紀後半までは、国家としての「朝鮮」という概念や、同じ半島に住む同胞の「朝鮮人」に対する忠誠心はむしろ希薄だった。それよりはるかに強かったのは、王に対する忠誠心に加えて、村や地域、そして何よりも氏族、家系、肉親、血縁集団への帰属意識だったのである。

とくに支配階級にとっては、ナショナリズムという概念はなじめないどころか、野蛮なものにさえ映ったことだろう。少なくとも7世紀以降、支配階級は文化的にはみずからを朝鮮人というより、中国を中心とする大きな世界文明の一員と考えていた。朝鮮の王位は、かたちの上では中国の皇帝によって与えられる地位であったし、宮廷人や貴族の間では中国語が書き言葉として用いられた。また中国の哲学や文学の古典が、あらゆる教育の基礎となっていた。朝鮮の支配階級にとって、中国文化に触れないことは野蛮人となるに等しかったのである。

李朝の初期、こうした中国文化崇拝は、事大主義と呼ばれる外交政策として具体化する。事大(サデ)とは「偉大なる物につかえること」で、「偉大なるもの」とはすなわち中国に他ならなかった。ある意味で、事大主義は巧妙な外交戦術ともいえ、これによって朝鮮は偉大なる国家(当時の一般的な儒教用語でいうところの「兄」)から恩寵、庇護、そして洗練された文化を手に入れたのである。しかし一方で外国に対するこのような崇拝と服従は、朝鮮の支配階級に存在しえたかもしれない民族意識を多いに弱めることになった。(中略)

1876年以降、ナショナリズムが成長する一方で、みずからのアイデンティティを異文化の枠組みの中に見いだすという支配階級の伝統的な傾向は、植民地時代にも引き継がれたようだ。彼らは文明の中心を中国から日本に置きかえ、日本を朝鮮の「兄」と見なした。

エッカートのこの本は、朝鮮の支配階級が日本に事大したときに、日本はそれら支配階級を資本家として育てると共に、残りの朝鮮人を労働者として搾取させることで、朝鮮を二分統治した。それが後に韓国と北朝鮮の分裂を用意したと述べ、日本を悪者として描いているわけですが、「良賤制」という朝鮮にもともと存在していた民族の二分的な身分制度には十分言及していないという弱点があります。

それはともかく、「事大主義」という外交戦略の背後には、「良賤制」という民族を二分する身分制度があり、「良賤制」という身分制度の背後には、「事大主義」という外交戦略が存在し、この二つは表裏一体のものであった。この密接につながった二つの制度が、朝鮮社会に独特の構造と傾向性をもたらしていた。この点を今回はご理解いただきたいと思います。

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2012年12月18日 (火)

浅田真央選手を守れ(7)

今日はこれまでのまとめです。

浅田選手の問題を通して、日韓の問題のカラクリが見えてきました。

●浅田選手とキムヨナを必ずセットにして取り上げるマスコミ
●日本のあらゆるものについて「対称性の構図」を作り、自分たちに有利な状況を作り、奪おうとする韓国。
●その背景には、朝鮮を長く支配していた身分制における「対称性の構図」が存在し、彼らは搾取する側に自分たちを配置し、搾取される側に日本を配置しようとしてきた。

この問題の理解のために下の二つの動画をまだご覧になっていない方はぜひご覧ください。

ハーバード大学のエッカート教授の『日本帝国の申し子』には、19世紀末までは、「朝鮮人」というはっきりした民族意識は存在しなかったと書かれています。両班は自分たちは中華の一部だと考えていたし、賤民階級はそもそも人間の資格すらもっていませんでした。

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朝鮮における搾取の激しさは、もう「お前らと一緒に生きたくないわい」と同じ民族が、二つの国に割れてしまうほど、苛烈なものだったということです。戦後朝鮮で起きたのは、このアメリカの雑誌の記事に書かれているような朝鮮人同士の激しい反目と殺し合いでした。主に搾取されていた側の朝鮮人は共産主義に傾倒し、ソ連や中国に事大し、北朝鮮を作った。

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搾取されていた人々が抜けた穴を、彼らよりも勤勉でかつ羊のようにおとなしい日本人が埋めているわけです。いわば「日本人総賤民化」です。

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同じ過ちが何度も何度も繰り返されているのに、学習しないのか、抵抗できなくされているのか。「対称性の構図」の中にやすやすと取り込まれてしまう企業や個人が後を絶ちません。

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2012年12月17日 (月)

浅田真央選手を守れ(6)

浅田真央選手の問題を引き続き考察していきます。

「マスコミはなぜ執拗に浅田選手とキムヨナをセットで取り上げるのか。」

という問題から始まり、前回、

A. 日本人は、「対称性の構図」とは無関係な「非対称性の構図」の中で、営々と物(価値)を創造する努力を重ねて来た。
B. それに対して、韓国は「対称性の構図」を作ることによって、物(価値)を奪おうとする傾向がある。

という箇所まで、考察を深めてきましたが、今回は、なぜ日本と韓国は、このような異なった特徴を持っているのか、歴史をさかのぼってその原因を考えてみたいと思います。少し取っ付きにくい議論になりますが、どうぞおつきあいください。

実は、歴史的に、日本が中国や朝鮮と異なる顕著な特徴があります。それは中国や朝鮮が最後まで、中華体制による「中央集権国家」であったのに対して、日本が中世(鎌倉時代)以降、「封建制」の時代を持ったということです。

「封建制」とは、一見すると「封建的」などと悪い意味に使われることがありますが、「ご恩と奉公」といった昔歴史の授業で耳にされた言葉を思い出していただけると分かるように、固定した身分ではなく、実力や功績によって報いが与えられるシステムのことであり、これは現代の資本主義のシステムととても似通ったシステムでした。またこの実力主義の制度は、必然的に身分解放や階級間の移動(クラス・モビリティ)をもたらし、資本主義の前提となる「自由な労働力」を準備しました。江戸時代の士農工商は、従来固定したヒエラルキーのように考えられていましたが、実は、役割を示すものであり、江戸時代における階級間の移動にもかなりの柔軟性があったことがわかっているようです。世界史的には「封建制」が発達したのは、西ヨーロッパと日本なのですが、これはちょうど、18世紀後半にイギリスに起きた産業革命と、19世紀における産業革命の大陸ヨーロッパや日本への伝播を通じて、実際に資本主義が定着し栄えた地域とぴったりと重なります。福沢諭吉は「脱亜入欧」を唱えたことで知られていますが、日本が、「封建制」を経た国家として、中央集権国家だった中国、朝鮮よりも、同じ「封建制」の時代を経てきた西欧により親和性をもっていたことは決して偶然ではありません。

それに対して、中央集権制度や農奴制度や奴隷制度を残した東ヨーロッパ、ロシア、中国といった地域には資本主義は浸透せずに、その後、共産主義に転じるようになっていきます。

日本と韓国の間には、過去に「封建制」の時代をもっていたか、持っていなかったかというこの大きな違いがあり、それが現在の国柄、社会のあり方に大きな影響を与えています。

日本人がこつこつと努力をして価値や成果を生み出そうとするのは、過去に「封建制」の時代があったこのことと大きく関係しています。日本人の勤勉さは、努力や功績がきちんと報われる「封建制」という社会システムを過去にもっていたことの何よりの証拠でありその遺産です。

それに対して、「封建制」が存在しなかった朝鮮ではどうだったか。

WJFプロジェクトの動画「セックスと嘘と従軍慰安婦」をご覧戴くとお解りのように、強い身分制を最後まで残し、何も労働せずに搾取する階級と、家畜のようにこき使われ搾取される人間が、二分されていた社会でした。
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また、「韓国による日本文化略奪:ジャパン・エキスポ2011での偽サムライと偽剣道」でも取り上げましたが、日本を訪れた両班階級の朝鮮通信使が、旅先の大阪で当然のように鶏を盗み、トラブルを起こしてようすが、絵に描かれています。当時の日本と朝鮮の社会の仕組みが大きく異なっていたことをこの絵ははっきりと示しています。

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このように努力してそれが評価され報われる社会と、働いても努力しても奪われるばかりであり報われない社会では、次のような顕著な違いが生じるようになります。

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どうしてこの韓国が執拗に「対称性の構図」を日本に押し付けてくるのか。そして奪うのか。それは、古来からの朝鮮に存在してきた、搾取するグループと搾取されるグループという身分間の「対称性の構図」を日本と韓国に当てはめているからであると考えられます。

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彼らは搾取する側に自分たちを配置し、搾取される側に日本を配置しようとします。これが日本があらゆる分野で彼らに絡めとられ、その成果を奪われてきた歴史的、そして構造的な原因です。

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真摯に努力しようとする日本。それを利用しようとする韓国。これは両者が意識してそうしているというよりも、社会に深く根ざした傾向性にもとづいて、無意識にそうなってしまっているものと考えられます。また根が深いため、「やめろ」と彼らに言って、やめられるものでもなく、かといって、この枠の中に取り込まれたまま、彼らと戦っても、拉致があきません。なにより、彼ら自身がこの「対称性の構図」の中で争った結果、二つの国に分裂してしまったほどなのですから。「やめろ」といってやめられるものなら、国が分裂する以前にこの「対称性の構図」を彼ら自身が克服できていたはずです。日本自身、
「中央集権制(律令制)」から「封建制」の時代に簡単に移行したわけではなく、武士たちが血で血を洗う過程を幾度か経て、変化していったのです。

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彼らにとっては、勤勉に努力し新しい価値を生み出してくれる日本人はいいカモであり、鵜飼の鵜なわけですが、しかし、日本人としてはこれはたまったものではありません。こんなことばかり続いていけば、朝鮮の搾取されていた人々のようにやがて「努力するのがばかばかしい」「怠けて何もしないでいるほうが得だ」ということになっていってしまいます。浅田選手が「フィギュアスケートをやめたい」と思うようになるのも当然のことです。

そして、この「対称性の構図」の中に絡めとられ、搾取され、利用され、苦労しているのは浅田選手だけではありません。電気、鉄鋼、造船、自動車あらゆる分野で、日本企業は、韓国企業にやり込められてきたわけですが、この「対称性の構図」の中にがっちりとはめ込まれて、うまうまと利用され、搾取され、成果を奪われてきたわけです。

そして浅田真央選手をめぐって戦ってこられた方は、よくよく御存知のとおり、日本人を搾取し利用しようとするこのからくりは、日本社会の中に根深く入り込み、簡単に除去できないまでになっている。日本はがんじがらめに「対称性の構図」の中に絡めとられています。

『危機に瀕する日本: 第一巻 文化略奪と歴史歪曲に関する一考察』の最後のページに現れる次の警告文に記した通りです。

今、私たちは、毎日韓流ドラマやK-Popがテレビにあふれる国に暮らしている。 かの国の本当の姿は何も報じられないまま。

島は奪われ、海の名前は書き換えられ、歴史はねじ曲げられ、金は巻き上げられ、技術は盗まれ、伝統文化は横取りされながら、2006年以来、私たちは親切に彼らのビザまで免除して自由に私たちの国への出入りを許している。

戦後、私たちの国に我が物顔で居座り、またあとから侵入してきた彼らの同胞は、私たちの国にのさばり、政治や経済やマスコミの中枢にまで入り込み、 自由に私たちの国をコントロールするまでに至っている。

百年後の日本を思い描いてほしい。

私たちの子や孫はどんな日本を生きていることだろう。

自由に意見が言える国に生きているだろうか。

努力の成果を横取りされない国に生きているだろうか。

国旗が高々と掲げられる当たり前な国を生きているだろうか。

誇りもって国を愛することを、許される国に生きているだろうか。

彼らがどんな国を生きることになるのか、今現在の、私たち日本人一人一人の決断と具体的な行動に委ねられている。

私たちの国日本は、今、大きな歴史的危機に瀕している。

一体この韓国の「対称性の構図」を振り払うために、努力の成果をうばわれないために、私たちはどうしたらいいのでしょうか。非常に難しい問いですが、皆さんとともに答えを探していきたいと思います。引き続きこの考察を続けます。

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浅田真央選手を守れ(5)

総選挙が終わりました。驚いたのは投票率の低さ。竹島問題や尖閣問題で、隣国の根深い悪意に私たちが取り囲まれていることを国民ははっきりと認識したはずだと思っていましたが、危機感はすべての国民には行き渡っていなかったのでしょうか。

また、政権が変わったからといって安心することもできません。日本の国の姿を歪めようとする力は、四方八方から押し寄せており、それに同調しようとする勢力も新しい政権の内部にいまだ残存しています。

正しい政治が行われるよう、新しく幕を開けたこの時代が一過性のものとならないよう、もっと広く国民の間に国を愛し守ろうとする思いが行き渡るよう、日本の保守の中身もまたその表現ももっと洗練させ、その質を高めていきたいものです。まだまだ私たちの戦いは続いていきます。

前回に続き浅田真央選手をめぐる問題の考察を深めていきたいと思います。

「対称性の構図」を作ることが、韓国が日本から何かを奪おうとするときのお気に入りの戦術であり、マスコミが執拗に、浅田選手とキムヨナを並べてとりあげるのも、その一例に過ぎないことを前回お話しましたが、今回は、より、具体的な例を通して、韓国の「対称性の構図」を作る戦術を見ていきたいと思います。

この問題を理解するために、あらためてご覧いただきたいのが、次のWJFプロジェクトの動画です。

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上の動画は、韓国によるさまざまな「ぱくり」の事例を取り上げているわけですが、この問題を単に「まねする」というレベルで捉えてしまっては、問題の本質は見えてきません。上の動画では、韓国の戦術を、

1. 何かをコピーし、
2. 若干の変更を加え、
3. 名称を変え、
4. 自分たちが開発したと主張する
このパターンが繰り返されている

と説明していますが、この韓国のお気に入りの戦術パターンをさらに違う視点から言い換えてみると、

1. 似た者を並べて対称性の構図を作り、
2. さまざまな操作により自分たちに有利な状況を作り、
3. 奪う
このパターンが繰り返されている

となります。

ヒュンダイが、アメリカで「ホンダイ」という発音を採用しているのも、サムソンが富士山や力士の写真を広告に使ってきたのも、まさに日本との「対称性の構図」を作るためにほかなりません。

韓国は日本との間に、この「対称性の構図」を一旦構築すると、技術を盗んだり、技術者を引き抜いたり、ウォン安操作をしたり、「さまざまな操作により自分たちに有利な状況」を作っていきます。

韓国が文化の起源を主張するのも、実は、「さまざまな操作により有利な状況を作る」ことの一つの方法として位置づけることができます。類似した二つのものがあり、片方に起源があるならば、そちらの方が「有利」ということになるからです。

そして、最終的に顧客や文化を「奪う」ことができます。

上のやり方が韓国が日本に「勝利する」典型的なパターンであり、このパターンは、政治、経済、文化、スポーツとあらゆる分野で繰り返されています。

日本海という呼称に東海という呼称をぶつけて競わせようとするのも日本との間に「対称性の構図」を作るためです。2002年のワールドカップで日韓共催に強引に持ち込んだのも「対称性の構図」を作るためです。

韓国が「対称性の構図」を仕掛けたときには、何かを奪う体勢に入ったと考えるべきです。また、ある意味において、「対称性の構図」を作られてしまった段階で日本の敗北はある程度確定してしまいます。だからこそ、極力「対称性の構図」を作らせてはいけないし、作られてしまった場合には、そこから抜け出す努力をする必要があります。間違っても、この「対称性の構図」の中で戦ってはなりません。それは「対称性の構図」を一層強化することになってしまうためです。

たとえば、日本のかっぱえびせんと、韓国のセウカンが、同じ土俵の上で優位性を競うとしたらどうでしょう。そんな戦いは最初からナンセンスです。相手は偽物なのですから。そんな戦いを真剣に戦えば、かっぱえびせんは、セウカンと同じレベルに過ぎないことになってしまいます。韓国は自分たちを日本と同じレベルに引き上げると同時に、日本を自分たち同じレベルに引き下ろそうとして、「対称性の構図」を作るわけですから、この土俵の上に乗っかることは決してあってはなりません。

では日本が「勝利する」典型的なパターンはどのようなものでしょうか。その一例はこちらです。

日本が「勝利する」パターンには何の対称性も存在しないことにお気づきでしょうか。「勝利」という相対的な言葉はここでは適さないかもしれません。「本物の価値」が、世界から認められたということにすぎませんから。山中教授の思いの中には患者を助けたいという思いしかありませんでした。その思いに従って真摯に努力し、その成果が、世界から認められたということにすぎません。当たり前のことですが山中教授の頭の中に韓国の「か」の時もありません。山中教授のように「非対称な構図の中で」努力することが、あらゆる分野に渡って、日本人のスタイルであり、行動パターンであり、日本が繁栄してきた原動力です。これが韓国との大きな違いであり、浅田選手にふさわしいのも、このような非対称な勝利、絶対的な勝利です。

しかし、残念なことに、このように日本人が「非対称な構図」の中でまじめに営々と努力して築いてきた成果を、韓国が「対称性の構図」という戦術を使い、あらゆる分野で、盗んだり、奪ったり、日本を踏み台にしてきたのが、現状です。

以上を少し単純化して整理すると、

A. 日本は「非対称の構図」の中で、価値の実現を目指して営々と努力をする
B. 韓国は「対称性の構図」を用いて他人の成果を盗もうとする。*

となりますが、なぜそうなのかについては、実は歴史的に非常に根深い原因があります。しばらく浅田選手と離れた話が続きますが、この考察を通じて、浅田選手の問題のみならず、日本が直面している問題の根を深さをご理解いただけると思います。また、この問題のからくりが分かった時、きっと「どうするべきか」という問題の答えも見えてくると信じます。

引き続きこの問題の考察を深めていきたいと思います。おつきあいください。

(*話を分かりやすく説明するために、極端な言い方をしていますが、韓国にももちろん独自性のある優れた成果は存在します。個人的には、キム・ギドク監督の映画作品は非常に優れたものだと思っています。)

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2012年12月16日 (日)

浅田真央選手を守れ(4)

浅田真央選手をめぐる問題を数回に分けて考えています。

浅田真央選手の問題は、

1. キムヨナの異常な高得点(審判の不正)
2. 国内のマスコミの不自然な取り上げ方

があり、2の問題に着目すると、マスコミが浅田選手とキムヨナの二人を必ずセットにして扱うという問題があることを指摘しました。

当然1の問題と2のマスコミの問題は、どこかでつながっているはずであり、1のキムヨナの異常な高得点、つまりフィギュアスケート界の不正の問題については、これはこれで国際世論に訴えて、不正をただしていく必要があると思います。

しかし、しばらくは、2のマスコミの問題と、国内において、浅田真央選手のために、どのような世論や環境を作っていくべきかという問題を集中して考えていきたいと思います。

また、1の問題が私たちの努力にも関わらず解決されない場合でも、浅田選手が涙を流すことなく、本当の意味で勝利する道筋も私たちは用意しなくてはならないと思います。浅田選手が本当の意味で勝利するとは、浅田選手が彼女らしい本物の演技によって本物の感動を世界の人々に与えることですが、この目標を実現するためにも、まず2のマスコミや国内環境の問題が解決されなくてはなりません。

この2の問題に関しては、これまで、

A. マスコミが不自然に浅田選手とキムヨナをセットで取り上げようとする
B. それに対して、私たちは浅田選手が浅田選手として輝ける環境をつくらなくてはならない。私たちの中からも、浅田選手をキムヨナのライバルと見なす見方を払拭しなければならない

という点をお話してきましたが、今回はこれを別の角度から説明してみたいと思います。当ブログを以前から読んでこられた方は「またあの話か」と思われるかもしれませんが、上の二つの事柄は、実は次のように少し抽象的な形で、言い変えることができます。

A. 韓国は日本から何かを奪おうとするときには、必ず「対称性の構図」を作ろうとする。
B. それに対して、私たちは何かを奪われることを防ぐために、「非対称の構図」を作らなくてはならない。

上の原則は、日韓に生じる問題のほぼ全てに当てはめることのできる最も基本的な原則です。マスコミが執拗に、浅田選手とキムヨナの二人を組にして取り上げる理由は、韓国が日本から何かを奪うときに行う、「対象性の構図をつくる」というお気に入りの戦術を今回も繰り返しているということにすぎません。

かなりの確率で、浅田選手を最後にこきおろす準備は、彼らによって着々と用意されていると私たちは考えるべきです。そのための最初のステップが、「浅田選手とキムヨナをセットで取り上げる」。つまりこの二人を「対称性の構図」の中にがっちりとはめ込むことにあります。

私たちが、「浅田選手がただ浅田選手として活躍できる環境を作る」ということは、これも言い換えれば、韓国が執拗につくろうとしかけてくる「対称性の構図」を打ち壊し、浅田選手を縛り付けている対称性の枠から自由に解き放つ必要がある。つまり浅田選手を、キムヨナとは「非対称な構図」の中に、「キムヨナのライバル」ではなく「さまざまな選手の中の一人の選手」という本来の自然な立場に、連れ戻してあげる必要があるということになります。

私たちが韓国の問題に対処するときに犯しがちな誤りの一つに、韓国が用意した対称性の構図の中に取り込まれたまま、それに気づかずその枠の中で戦おうとしてしまうという問題があります。この対称性の枠の中で戦えば戦うほど、もがけばもがくほど、ますます、この枠組みの中に取り込まれていってしまいます。なすべきことはこの対称性の枠の中で戦うことではありません。対称性の枠そのものを壊し、抜け出すことです。

今回は抽象的にお話ししたこの点を、次回以降、より分かりやすく、さまざまな具体的な事例を取り上げながら考察を深めていきます。なぜ、韓国が作ろうとする対称的な構図の中に引き込まれてはならないのか、多くのみなさんに、韓国のお気に入りの戦術をよく理解していただき、それに対して正しく対処していただけたらと思っています。

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2012年12月15日 (土)

浅田真央選手を守れ(3)

「浅田真央選手を守れ」

このタイトルで浅田真央選手をめぐる問題を整理する作業を少しずつ進めています。

今回は、浅田選手を守ることを通して、私たちが守ろうとしているものは何か、少し話をひろげて考えてみたいと思います。

下は、WJFプロジェクトの動画『危機に瀕する日本』第二巻:セックスと嘘と従軍慰安婦のスクリーンショットです。(画像はクリックすると拡大します。)

左側には江戸時代の日本の人々の様子、右側には李氏朝鮮の人々の様子を記述した資料の引用をまとめています。

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これらの記述を読んで、みなさん、何かお気づきになりませんか。

特に、これ。

「日本を旅すると、人々の持つある種の陽気さに慣れてくる。日本女性の目は、ほとんど常に愛想の良い快活さが宿っており、楽しそうにきらめいている。そしてこちらもつい微笑み返さずにはおれなくなる。彼女たちにとっての人生は、まるで遊びやピクニックであるかのように見える。 」(G. W. ギルモア, 1892)

これは浅田選手の本来の姿そのものではないでしょうか。

私たちが守らなければならないのは、彼女のこのような姿であり、また私たち自身のこのような姿です。

それが「日本の保守」の役割です。

「保守」とは守ることです。領土を守る。日本人の権利を守る。しかし、なによりも、祖先から受け継いできたこのような笑顔にあふれた日本人としてのあり方を守っていく。

その中に、私たちの「浅田真央選手を守る」戦いも位置づけられなくてはなりません。

私たちははっきり覚えています。彼女がその笑顔を失ったあのときのことを。

日本の姿を歪めてきた悪意のある力が、彼女からも笑顔を奪ってきました。そして笑顔を失ってきたのは彼女だけではありません。

明日はとうとう総選挙。私たちは、彼女の、そして私たちや、私たちの子や孫の笑顔を守るための、よりよき選択ができるでしょうか。

浅田真央選手をめぐる問題について、ひきつづき考察を深めていきます。

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浅田真央選手を守れ(2)

すばらしい才能と、人柄をもった、日本の誇るべき宝、浅田真央選手。

メダル授与式で、君が代を一生懸命歌ってくれた浅田真央選手。

私たちの大切な浅田真央選手。

しかし、その彼女が苦しんできている姿を私たちは知っています。大好きな自分の祖国で暮らし練習活動をしているにも関わらず、その力を封じようとする執拗な悪意を一心に身に受けてきました。それでも健気に耐え、努力を重ねてきた姿を、私たちはよく知っています。

私たちが日本人として、悪意をもった力を排除し、彼女が十全な力を発揮できる最良の環境を提供できないとしたら、私たちは自分たちの非力と無能を責めなくてはなりません。

前回に続き、浅田真央選手を巡る問題について考えていきます。

前回、浅田真央選手を巡る問題には二つあること。

1. キムヨナの異常な高得点
2. 日本のマスコミの不自然な取り上げ方

を整理しました。

そして、2のマスコミの取り上げ方の問題には、キムヨナを持ち上げ、浅田選手を貶めるという問題以前に、マスコミが、この二人を必ずセットにして取り上げることにあるという不自然な点を指摘しました。

この問題を少しずつ掘り下げながら、数回に分けて考えていきたいと思います。

私は、この問題は慰安婦問題などの韓国のプロパガンダに対処する場合と同じ点に気をつけなければならないと考えています。

それは、情報戦とオセロゲームという記事でも少しふれたことですが、私たちが目指す目標の本質を見失ってはならないということです。

慰安婦問題に関する韓国のプロパガンダに対処する際に、陥りやすい誤りは、「石碑を取り除くこと」等を目標に設定しがちであるという点がありました。私たちの目標の本質は、石を一つや二つ取り除くことではなく、あくまで「慰安婦問題を正しく理解する人々の数を増やす」ことにあります。石を取り除くことを目標にしたとき、私たちは本末転倒に陥り、「慰安婦問題を正しく理解する人々の数を増やす」という本来の目的の達成をかえって自分の手で妨げてしまうこともあります。

実は浅田真央選手の問題についても、私たちは同じ過ちに陥らないようにしなくてはなりません。どういうことかというと、「浅田選手がキムヨナに勝つこと」を私たちの目的にしてはならないということです。なぜならば、私たちがそれを目標にした時点で、「浅田真央選手とキムヨナをセットにする」「浅田真央選手をキムヨナのライバルとして見なす」というマスコミの罠に、まんまと絡めとられてしまうからです。

浅田真央選手が、他の選手と同じように、ただ浅田真央選手として活躍できる環境をつくらなくてはなりません。そのためにこそ、まずは、私たち自身が浅田選手をキムヨナのライバルと、あるいはキムヨナを浅田真央選手のライバルと見なすマスコミによって植え付けられている見方を払拭しなければなりません。この見方は、マスコミの洗脳により、残念ながら、私たちの心に深く根付いてしまっています。浅田選手は浅田選手。一人の独立した選手です。彼女を「キムヨナのライバル」という、マスコミによって、またある程度は私たちの手によって押し付けられてしまった立場から解放してあげましょう。

では、「浅田真央選手がキムヨナに勝つこと」が目標でないならば、どこに私たちの目標を設定すべきでしょうか。それは、きわめて単純な当たり前のことですが、浅田真央選手が、自分らしくのびのびと演技をして、その演技が一人でも多くの世界中の観客に心からの本物の感動を与えること、メダルの色に関係なく、彼女が笑顔でこのことを成し遂げられるように環境を整えること。この一点につきるのだと思います。誰がどんな不正をしようと、本物は必ず、人々に伝わります。浅田選手が不正な審判に打ち勝つことができるとしたら、それは、本物の演技と本物の感動によってだけです。彼女が笑顔で自分の力を発揮し、その演技が人々に感動を与えてくれたら、キムヨナがどんなに不自然な高得点を取ろうと、私たちには関係のない問題です。そのとき、キムヨナの異常な高得点は、むしろ逆の意味を持つようになります。つまりオセロの石がひっくり返るのです。

「浅田選手がただ浅田選手として演技し、輝く。」このことを妨げているからこそ、私たちはマスコミの不自然な取り上げ方や、浅田選手をキムヨナのライバルとみなしがちな私たち自身の見方を問題にし、正していかなくてはなりません。しかし、私たちがマスコミと戦うのは、「浅田選手をキムヨナに勝たせる」ためではなく、「浅田選手が浅田選手として輝くこと」。そこに目的があるということを私たちは忘れてはなりません。

浅田選手の問題であれ、他のどんな問題であれ、韓国の反日工作と戦うときには、つねにその本質を忘れないように。そしてその本質を実現するために何をすべきなのかを考えなくてはなりません。私たちを本末転倒に陥らせようとする罠はさまざまな形で仕掛けられています。

この問題は引き続き、さまざまな角度から、考えていきたいと思います。

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2012年12月13日 (木)

浅田真央選手を守れ(1)

四年ぶりにグランプリファイナルで優勝した浅田真央選手。

転倒しながらも「今季最高得点」で試合に復帰したキム・ヨナ選手。

キムヨナをめぐる問題は、

1. 不自然な高得点
2. 日本のマスコミの不自然な取り上げ方

の二つに集約できると思いますが、2のマスコミの取り上げ方について考えてみると、単にキムヨナを持ち上げて、浅田選手を貶めるという以前のところに、問題があることに気づきます。

それはなぜか、マスコミが浅田選手とキムヨナの二人を常にセットにして取り上げるという点です。

フィギュアスケートの選手は他にも多くいますし、選手の一人一人は、それぞれの個性をもった独立した選手です。実際、キムヨナ以前に、日本の特定のフィギアスケートの選手が、外国の特定の選手と常にセットで論じられるというようなケースというのはなかったのではないかと思います。また浅田選手以外の現役の日本選手で、他の特定の外国人選手と常にセットにしてマスコミに取り上げられている選手はないと思います。

浅田選手は浅田選手であり、キムヨナはキムヨナです。この二人を組にして取り上げる必然性は何もないのですが、日本のマスコミは、この二人を必ずセットにして取り上げます。

浅田選手の人柄を考えると、誰かと競争して、蹴落として勝つというタイプの選手ではありませんから、他の選手がそうであるように、特定の外国人選手とセットにして扱うのではなく、浅田選手は浅田選手として単独で、マスコミが取り上げていたら、もっとのびのび競技生活が送れてきたのではないかと思います。彼女のようなタイプの選手にとって、キムヨナと常に比較されての競技生活はいかにやりにくいか。このことが、どれだけ彼女を疲弊させて力を奪っているか。それでも浅田選手は不平をもらさず、にこやかに競技生活を続けてきましたが、今年はスケートをやめようと思ったとも告白していました。

私たち日本人が浅田選手を守るためにすべきことは、まずは、マスコミがキムヨナとセットにして浅田選手を取り上げるということをきっぱりとやめさせることであると思います。そのような取り上げ方をしていたときには、マスコミやスポンサーにがんがん抗議をいれるべきです。こういう国内の問題こそ、力や数に物を言わせて私たちは力づくで物事を動かしていく必要があると思います。ソチ五輪にむけ、浅田選手が、キムヨナのライバルとしてではなく、ただ浅田選手として力を発揮できる環境を、私たちの手でなんとか作ってあげたいものです。

なぜ日本のマスコミはここまで執拗に、浅田選手とキムヨナをセットにして取り上げるのでしょうか。より詳しくこの問題を考えていきたいと思います。

(明日以降に続きます)

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