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2013年2月27日 (水)

グローバリズムの問題点

コメント欄に戴いた質問に対する答えを記事として再掲しておきます。

TPPやグローバリズムの問題の本質は、ここでも価値の優先順位の問題であると思います。

「全体から出発して、末端のあり方を決めていくのか」

「末端から出発して、全体のあり方を決めていくのか」

という問題です。

TPP推進派の意見は「貿易」というものをあまりに中心に据えて考えていますが、日本の低い貿易依存率にあらわれるとおり、日本経済を貿易が支える割合はそれほど多くはありません。

また貿易をメインにすえて考えてしまうと、どうしても、グローバルな全体の秩序を主とし、末端の各国家を従として考えるようになります。そして、グローバルな全体の秩序の利便を最優先にして、各国家のあり方を改変しようとするようになります。その一つの動きがTPPです。

日本経済の一部を占めるにすぎない貿易を中心に据えて、日本の国内制度をすべて貿易の利便のために改変していくのはあまりにいびつです。

あくまでも、各国家のあり方を中心とし、それに応じて、世界全体のあり方を決めていくのが本来の順序であるべきです。いや、さらに言うならば、各国家の内部の、各地域の人々の生身の現実の暮らしから出発して、その人々の利益を最大化するために、国家のあり方が定められ、その国家のあり方から、国と国の関係が既定され、そこから国際関係が構築されていく、というのが本来の健全な国際秩序構築の手順だと思います。

グローバリズムの問題はこの手順や優先順位を転倒させてしまっていることにあります。従ってグローバリズムは全体主義の一種に他なりません。

「国家」があってこそ、その中における「経世済民」としての「経済」、人々がどう豊かに健康に安全に暮らしていけるかという課題に答えるものとしての「経済」という問題が生まれるのであり、グローバル秩序の利益の最大化や効率化のために国家の枠を取り除いて、超国家的な経済の動きだけを加速化させていけば、時間を負うごとに、効率化のため、各国、各民族、各地域の多様性がかき消され一様化されていくと同時に、各国、各地域に暮らすローカルな末端の人々の利益や、健康、安全、権利という問題は、脇へと脇へと追いやられていきます。富はグローバル秩序の中心を占める人々が寡占し、各地域や、中小企業、末端の地場産業、社会的に弱い立場の人々の暮らしはかならず疲弊していきます。

技術論的な問題はさておき、TPPやグローバリズムが内包しているこの転倒した価値の優先順位こそが問題なのだと思います。ここでも「何が最も大切なのか」が問われなくてはなりません。

最も大切なものは、グローバルな全体の秩序の利益や効率ではなく、各国、各民族、各地域がもつ現実の人間の暮らしであり、文化であり、歴史であり、伝統です。

私たちは日本民族として、民族の文化の源流であり基盤たる、人々の現実の暮らし、文化、歴史、伝統を守り抜くために、やがては私たちの文化や伝統をねこそぎにかき消し、世界を一様化させてしまうであろう、グローバリズムの全体主義的な圧力に激しく抵抗していかなくてはなりません。


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コメント

アメリカ型資本主義は「資本家主義」と成り果て、国家、そして世界の富のほとんどを少数の富裕層が占有して、富裕層率いるロビイストによって国家が動かされる経済体制となっています。

中国は、「国家資本主義」。
国家主義とは市場経済でありながら国営企業が中心の経済体制です。

どちらも、少数が富のほとんどを占有しているという点で両国は共通しています。

そして、日本。
日本は、「民主主義国家」です。
小泉純一郎による構造改革によって、一部日本の民主主義が壊されてしまいましたが、
日本の民主主義を根本的に消そうとするTPPを決して導入してはいけません。

詳しくは
「格差大国の狭間 田中良紹さま」記事BYもりのくま様
をご覧ください。
http://maiko.cocolog-nifty.com/kuma/2013/02/post-e16d.html

投稿: 日本は危ない | 2013年2月27日 (水) 22時10分

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