一極vs多極
三橋貴明氏のブログに、TPP問題で名高い評論家の中野剛志さんの大変示唆に富む文章が紹介されていますので、引用させていただきます。
(中野剛志 評論家)毎日新聞 1月7日朝刊
第2次安倍晋三内閣は、民主党政権下で混乱した外交・安全保障を立て直すべく、日米同盟の強化を打ち出した。それ自体は正しい。ただし、第1次安倍内閣の頃の外交戦略を復活させるだけでは不十分だ。なぜなら、当時と現在とでは、世界情勢は大きく変化しているからだ。
第一に、世界経済の構造が全く異なる。2008年のリーマンショック後、米国は世界経済を牽引できなくなり、欧州はユーロ危機に陥り、欧米への輸出に依存していた新興国の成長も著しく鈍化した。この変化に伴い、各国は経済戦略を大きく転換している。
例えば、第1次安倍内閣当時、米国はドル高を容認していたので、日本は円高による輸出主導の成長が可能だった。しかし、現在の米国は輸出拡大と製造業復活による雇用創出を掲げ、ドル安を志向している。第2次安倍内閣が円安の誘導による輸出主導の成長を目指すなら、それは米国の方針と対立することになる。
第二の変化は、米国の覇権国家としての地位の喪失である。
昨年末、米大統領の諮問機関である米国国家情報会議は、報告書「メガトレンド2030」を公表し、中国が20年代に米国を抜いて最大の経済大国となり、米国は覇権国家ではなくなり、「世界の警察官」たり得なくなると予測している。米国政府機関自身が、米国が覇権国家としての地位を失う可能性について言及したことの意義は大きい。ところが政治学者のプレマー氏は、世界はすでに覇権国家も主要国の国際協調(G7やG20)も存在しない「Gゼロ」になったと論じる。確かに、米国は不安定化する中東情勢から手を引き、北朝鮮のミサイル発射実験すらも阻止できない。G20体制は、気候変動問題やユーロ危機など、グローバルな課題を全く解決できない。かといって代わりとなる覇権国家や国際体制はない。国際政治経済学の覇権安定理論によれば、開かれたグローバル経済は、秩序を守る覇権国家のリーダーシップがなければ、存続し得ない。19世紀にはイギリス、20世紀後半以降はアメリカが覇権国家として君臨し、開かれたグローバル経済の秩序を維持した。1930年代の世界恐慌は、英米が覇権国家としての役割を果たさなかったために起きた。今日の世界が、斬権国家なき「Gゼロ」だということは、グローバル経済の200年の歴史が終わったことを意味する。プレマー氏や米国国家情報会議は、食糧、エネルギー、水を巡る地政学的な争奪戦を予告している。この事態に対し、安倍政権はどんな戦略で対処しようとしているのか。
第三の変化は、米中の軍事バランスである。複数の安全保障の専門家が、この10年で中国の軍事力が飛躍的に強大化したことで、アジア太平洋地域における米中の軍畢力が拮抗しつつあると指摘している。尖闇諸島を巡る中国の挑発も、この米中の軍事バランスの変化を反映したものだ。
オバマ政権はアジア回帰の外交戦略を打ち出したと言われる。だが、11年のクリントン国務長官の論文は、米国が中国市場に輸出し、中国が米国市場に投資するという互恵的な米中経済関係の構築を提唱している。「アジア回帰」は、中国封じ込めという趣旨では必ずしもないのだ。
著名な国際政治学者のキッシンジャー氏は、米中は経済的な協力関係を構築して安全保障面での衝突を回避すべきだと主張する。オーストラリア国立大学のホワイト氏は、米国が中国と戦ってでも守るべき利益はアジア太平洋地域にはないと論じる。米海軍大学のホームズ氏は、厭戦気分にある米国の世論が、尖閣諸島を巡って中国と戦う選択肢を選ぶことは政治的に困難だと言う。ランド研究所は、10~20年以内に米国が台湾海峡から後退せざるをえなくなる可能性すら示唆している。米国国家情報会議も、米中の協力関係の構築が最善のシナリオだとする。ホワイト氏は、もし米国が中国と共存しようとするなら、日米同盟は邪魔になると指摘する。国際情勢が大きく変わったのだ。戦後日本の外交・安全保障戦略は、米国の軍事力に依存し、日米関係を悪化させないためには米国の経済的な要求でも呑むというものだった。しかし、米国の覇権的地位の喪失や米中の軍事バランスの変化により、日米同盟の有効性が低下し、米中が接近するのだとするなら、日本は大きな方向転換をしなければならない。日米同盟の強化は確かに必要だが、それは日本が防衛力を強化し、米国と対等な関係になることによってでなければならない。米国の経済的な要求を呑んでも、もはや安全保障の見返りはないのだ。
日米同盟の無効化や米中接近など、想像しがたいかもしれない。しかし、40年前にもニクソン大統領(当時)が中国を電撃訪問する「ニクソン・ショック」があった。当時も、米国の国力の低下や世界経済の変化といった転換期だった。世界情勢の大きな変化をつかみ損ね、従来の対米依存路線を怠惰に続けるなら、日本は再びショックを受けることになろう。
親米保守は保守かという記事でも意見を述べましたが、中野氏の書かれていることに同意いたします。安倍政権に従来型の日米同盟の再構築を期待し、それによって「対中包囲網」を形成しようとするならば、日本は大きく進路を誤ることになるでしょう。
WJFは次のブログに述べられている意見にも同意します。
このようなゴリゴリのネオコン集団に取り囲まれた安倍政権。
日本はよせばいいのに、進んでアメリカの対中包囲網の一翼を担うという立場を買って出るという大馬鹿な選択をするようです。バカだなあ。バカですよ本当に。
日本は進んでアジアの安全保障問題を中国封じ込め問題として定義し、その役割を自ら買って出るというのですよ。周りの東南アジアの国家が「日本がアメリカ、豪州と一緒に面倒を引き受けてくれた」とホッとしているのは間違いありません。これがアメリカのオフショア・バランシング戦略だということは感のいいこのブログの読者は気づいているでしょう。
アメリカは軍事予算を削減して財政削減するので、安全保障負担は同盟国に負わせる一方で、その同盟国にはアメリカ製の武器を買わせる。これがオバマ政権二期目のアジア外交戦略です。そんな単純化していいのかと言うかもしれませんが、いいのです。単純なことこそ正しい。オッカムの剃刀です。
日米安保体制を作った吉田茂元首相は色々と最近は批判はありますが、アメリカに安全保障上の負担を押し付ける(バックパッシング)という素晴らしい国家戦略を編み出した偉大な政治家です。
安倍首相の祖父の岸信介もここまでバカではなかった。
ネトウヨとネオコンに応援されて舞い上がっている安倍首相は少しは頭を冷やしたほうがいいでしょう。これではアメリカの武器ビジネスの「いいカモ」にされて終わるだけです。
それにしても、鳩山由紀夫が総理大臣になった時に今回の安倍論文と同様に政策構想論文をアメリカの新聞が転載しました。
安倍論文と比べると鳩山論文がどれだけまともだったかがよくわかります。
しかし、鳩山論文を必死になって叩いたマスコミは今回は安倍論文については沈黙。
産経が肯定的に取り上げた他はどのマスコミも沈黙です。
このことを見ても鳩山論文騒動が外務省やマスコミ、アメリカの知日派が結託して問題化した自作自演だったことが分かるわけです。
あーあ。
冷戦構造の焼き直しのように、
という対立する二項を立てて、アメリカ陣営に日本を組み入れて安全を計ろうという、従来の自民党外交をそのまま反映させた二極的な戦略を取るならば、柳の下にもうドジョウはいません。冷戦を生き延びたようには、今回はうまくはいかないでしょう。今回は日本が戦いの最前線になります。仮に「中国包囲網」なるものを形成しようとしても、矢面に立つのは日本であり、朝鮮戦争が日本に好景気をもたらしたように、アメリカや韓国などに特需景気をもたらすのがせいぜいではないでしょうか。
挑発に乗らず極力戦争を避けること。そして、平和を一日も長く維持できるように、アメリカや中国とは独立した一つの中立的な極になれるよう核武装も含めた力を付けることが早急に求められていくと思います。そのためにこそ、言葉の本当の意味での「戦後レジームからの脱却」と、そのための国民の意識改革が求められると思います。
国民の意識の中には、冷戦時代、アメリカに守ってもらって平和に生き延びた「成功体験」が焼き付いてしまっています。そのときと同じようにアメリカに守ってもらえるのだという期待が私たちの中に深く根付いていますが、冷戦時代のような単純な二項対立的な二極的な図式は、中華が勃興するこれからの時代には有効ではありません。あえて、これからの時代に有効な二項対立を掲げるとするならば、
という図式ではないでしょうか。今後、中国の一極支配の方向へ強いモーメントが加わっていきますが、それに対して、いかに多極化した世界を保持していけるかが必要になります。そのためにこそ、「アメリカはアメリカである」「日本は日本である」「フィリピンはフィリピンである」「ベトナムはベトナムである」といった、各国が、それぞれの健全なナショナリズムに立脚して、独立する力の度合いを強めていくことが必要なのであって、冷戦時代のように単純に二極化した世界を再来させることが解決になるわけではありません。日本は自らがアメリカから自立することにより、新しい多極化の時代を牽引する役割をこそ担うべきだと思います。日本は中華という一極支配の渦のぎりぎり外側に立って独立を保持してきた長い伝統があります。日本こそが、中華にどう処すべきかを長い歴史を通じて知っているはずです。「日米同盟」に依存していればよい時代はもう終わったのです。
麻生氏の「自由と繁栄の弧」にしても、一極VS多極という枠組みで、これを捉えるならば、大変有効ですが、冷戦型のアメリカVS中国といった二項対立的な図式で、これを捉えようとすると、その効力を大きく損なうことになるでしょう。
一極を目指そうとする「一」に対する執拗なこだわりは、中華の宿命であり、彼らにはその宿命を辿らせておけばよい。それを妨害する必要はありません。中華とアジアのトップや世界のトップを競う必要はありません。ただし、日本は、その渦に巻き込まれてはなりません。「一」を目指す中華に対して有効な対立項は、あくまで「多」であり、決してもう一つの「一」をぶつけ合わせることではありません。だからこそ二極的な構図を描くことは対中華には不適格な戦略です。「一」を愛すると同時に「多」を恐れることもまた中華の宿命です。「一」が「多」に分裂し、ふたたび「多」を強引な方法で「一」にまとめあげようとする。ギリシア神話のシーシュポスに課せられたようなやがては水泡に帰す労苦を反復することが中華の宿命ですから、日本に必要なのは、その渦の外側に黙って静かに立ち続けるに必要十分な力であり、彼らの宿命的な反復動作を急がせたり、せき止めたりする力ではありません。
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