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2013年1月 9日 (水)

「戦後体制」とは何か(3)

昨日

戦前 (善) VS 戦後 (悪)

あるいは、

戦後 (善) VS 戦前 (悪)

という、善悪二元論的な枠組みで考えるべきではないと書きました。

私たち日本人のそれぞれが、それぞれの時代を一生懸命生きようとした事実に、良いも悪いもないと思うからです。

しかし、その一方で、日本が戦争に追い込まれ、爆弾を落とされて焼け野原になり、原爆によって多くの同胞が焼き殺され、ついには敵に膝を屈し、戦勝国によって国のリーダーたちが「戦争を計画した罪(平和に対する罪)」などという前代未聞の罪を着せられて戦犯として処刑されるのと引きかえに、私たち一般の国民は軍国主義の犠牲者として免罪され、戦勝国を解放者として感謝することを教えられ、転向を余儀なくされ、新しい憲法と歴史をあてがわれ、武器をもぎ取られ、戦勝国の価値観と意思を唯々諾々と受け入れる平和国家となり、周辺国からは領土を奪われ、あることないこと罪を着せられても反論もできず、主権といっても名ばかりであり、実際は戦勝国の掌の上で自在に操られながら戦後と呼ばれる時代を生き延びてきた事実は、やはり胸をかきむしられるような忸怩たる思いがいたします。

このような国のあり方は一日も早く「脱却」しなければならないものであることは言うまでもありません。

事大主義的な大国への従属と依存の恐ろしい点は、一旦その状態に陥り、人々が独立の気概を失うと、そのことが次の新しく勃興してくる大国への事大の姿勢を準備してしまい、次から次へと連鎖して、未来永劫、なかなか抜け出すことができなくなることだと思います。

このことは朝鮮の歴史を振り返れば明らかです。元に事大した高麗は、明が興ると、明の軍隊を撃つように派遣されていた軍人李成桂の寝返りによって倒され、明に事大する李氏朝鮮が誕生します。明に忠誠を誓った李氏朝鮮も、新しく満州人の勢力が清を興すと、当初は激しく抵抗したものの、今度は清に事大するようになります。清が弱体化すると、今度はどの国を事大先にするかで激しい政争が起こり、ついには日本に併合されます。そして日本が戦争に破れると、ふたたび事大先をめぐって血で血を洗う争いがおき、国が二つに二分されていきました。

日本は戦後アメリカに事大しながら生きてきました。そのことは否定することのできない事実です。今後警戒しなければならないのは、言うまでもなく、中国の台頭です。米中のパワーバランスは、近い将来逆転すると言われています。そのときに、日本がアメリカに事大してきた事実は、米中の力が入れ替わったときに、簡単に中国に対する事大の関係を招いてしまう可能性があります。今度は中国によって意識変革が行われ、国のあり方も根底から変えられていくことになるでしょう。そのようなことがあってはなりません。中国の脅威があるからこそ、「日米同盟を強化する」というその場しのぎの事大主義的なやりかたで困難を乗り切ろうとするよりも、対米依存、対米従属といわれてきた戦後体制を一日も早く脱却し、真の独立国として再び立つ方向に向かって、強い逆風に耐えながらも一歩、また一歩と歩き出す必要があると思います。そして、アメリカにも付かず、中国にも付かず、日本が日本として自分の力で立つためには、やはり核武装ということを現実的な選択肢として、私たちが真剣に考え始める勇気を持たなくてはならない時に今やさしかかっているのではないでしょうか。

新政権は、本当の意味での戦後体制の脱却に向けて、歩き出しているでしょうか。そうであるならば、新政権は、内外からの激しい逆風と抵抗に見舞われることでしょう。私たちは、文字通り、命がけで新政権を支えなくてはなりません。しかし、新政権が、従来と同じ対米従属、媚中、媚韓の古い自民党政治を踏襲していくならば、私たちの鬱屈した怒りは新政権に対しても向けられていくことになるでしょう。戦後体制に留まるモラトリアムが許される時間は、私たちには、もう長くは残されていないからです。


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コメント

Fugenさん、少し話がズレますが、アメリカの問題について、中国や韓国・北朝鮮と対抗するために単純に「日本はアメリカに付くべきだ」と考える保守の人が未だに多いことをかねがね問題だと考えています。アメリカは永遠に大国なわけではなく、「日米同盟」が防衛上有効ではなくなるときが近い将来必ずおとずれますが、その後のことを考えていないように思うからです。また逆に、陰謀論者など、アメリカの脅威を唱える人たちは、中国、韓国・北朝鮮との融和をあまりに安易に説き、中華の問題をあまりに過小評価しすぎていると思います。どちらも正しい姿勢ではないように思います。「アメリカに付くのか、中国に付くのか」という二元的思考が、私たちを誤らせるのではないでしょうか。


「東京裁判」については、南京事件が慰安婦問題の後の今年のテーマですので、その関係で私も勉強し直しているところです。現在は日暮吉延氏の『東京裁判』を読んでいます。南京事件の問題を明らかにしていくことは、単に中国のプロパガンダの問題に留まらず、日本が絡めとられていった近・現代の歩みを振り返ることであり、また私たちが戦後、どのような枠の中に閉じ込められて生きてきたのか、どこからどこに脱却するべきなのかを明らかにすることになると思います。考えがまとまったところで、東京裁判の問題も、南京虐殺のシリーズの動画の中で取り上げていきたいと思います。

多くの人たちに、問題を理解してもらえるように、がんばってまいりましょう。ブログをご紹介くださりありがとうございます。

投稿: WJF | 2013年1月 9日 (水) 23時13分

いつも読ませて頂いています。

WJF様が、

『実際は戦勝国の掌の上で自在に操られながら、私たち日本人が、戦後の時代を生き延びてきた事実は、やはり胸をかきむしられるような忸怩たる思いがいたします。』

とは、全く仰る通りで、私自身が本当に口惜しくて、犠牲者の皆様に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。
私は、最近ブログを書き始めていて、一つの課題が自分自身の歴史認識の再確認です。
ブログ書くのにネットなど調べていて心配になるのが、敗戦後の日本人が『実際は戦勝国の掌の上で自在に操られながら』生きてきたことをどの程度認識しているかです。

例えば、『東京裁判』を本当に『裁判』だと勘違いして、国際法上の不当性を証明することで、前代未聞の罪を着せられて不当に処刑された「戦犯」の皆様を擁護しようとする。気持ちはわかるが、私は事実認識が違うと思います。
『東京裁判』なるものは、裁判を偽装した『宣撫工作』というGHQが行った軍事作戦であると正しく認識することが重要だと思います。東條英機将軍はじめとする「戦犯」の皆様は、GHQの軍事作戦に対抗して、日本国のため戦死されたのだと正しく認識することが、私は重要だと思います。

GHQの宣撫工作の実態などは、とっくの昔に山本七平が見事に暴き出しているのですが、忘れられているようなのが残念でなりません。
戦勝国がどうやって、日本人を操ったのか、未だに操られているのかを正確に認識することが、日本再生にとって重要だと私は思います。

下記の記事など、お読み頂ければ幸いです。


【宣撫工作としての『東京裁判』:(山本七平著)『ある異常体験者の偏見』より】
http://ameblo.jp/fugen-blog/entry-11439829971.html

投稿: Fugen | 2013年1月 9日 (水) 21時57分

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