歴史的思考の喪失
浅田真央選手を守れ(7)のコメント欄で、かなり重要な議論が出てきたように思います。あらためてそこで指摘したことを記事として記録に留めておきます。
歴史とは本来、現在の自分たちの立ち位置を含めた世界の成り立ちを説明する共同体の自己認識のための物語なわけですが、「事実」と「価値」、「なされたこと」と「なされつつあること」、「認識」と「実践」、「これまで」と「これから」の二つの領域をまたがって紡がれるものであると思います。
ところが、日本が戦争に負けて、戦勝国に都合のよい歴史があてがわれたとき、以下のような問題が発生したのではないでしょうか。
1. 歴史は、日本の「これまで」を効果的に説明する自己認識の物語としては役に立たなくなった。
2. 戦前の「軍国主義」に協力したとされる学者のパージが行われるとともに、戦後の歴史家や人文・社会科学の学者たちは、「価値」の領域から待避し、ばらばらの「事実」を扱う実証的研究に極端に傾斜していった。
3. その結果、歴史は、「これから」に光をあてる実践的な学問であることをやめてしまった。
4. 歴史が「これまで」の事柄についても「これから」の事柄についても、機能不全に陥った結果、日本から戦略的思考が失われてしまった。
「浅田真央選手を守れ」シリーズで試みようとしているのは、歴史的思考、戦略的思考を取り戻すためのささやかな実験でもあります。これまでは、「どうしてマスコミは浅田選手とキムヨナをセットにして取り上げるのか」という問題を、韓国の「対称性の構図」戦略と朝鮮の良賤制とのアナロジーという観点で考えてきましたが、次回から「どうしてキムヨナは不自然な高得点を取るのか」という問題に踏み込んで考えてみたいと思います。今度は朝鮮の「事大主義」の問題が前面に現れてきます。「良賤制」と「事大主義」が表裏一体であるように、「マスコミが浅田選手とキムヨナをセットにして取り上げる」ことと「キムヨナが不自然な高得点を取る」ことはまさに表裏一体です。
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