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2012年12月11日 (火)

アメリカから送られた貴重な資料 (2) 麗水・順天事件

以前、アメリカから送られた貴重な資料として、こちらにも度々コメントをいただいている方から送っていただいた、たくさんの貴重な資料の中から一部ご紹介させていただきましたが、今回もその中から興味深い資料をご紹介させていただきます。これは1948年10月19日に発生し、民間人8000人が虐殺された麗水・順天事件を報道したアメリカの雑誌LIFE(1948年11月15日号)の記事です。

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いかにして「平和な天」に死は二度訪れたか

「平和な天」を意味する順天で、赤い反乱の指導者たちは、監獄から政治犯を解放すると、報復すべき敵を名指ししながら町中の家から家へと先導させた。この協力により、反乱者たちは、市民約500人と警官100名を、韓国軍が順天(人口6万)を奪還する10月23日までに虐殺した。その後、韓国政府の番となった。LIFEのカール・マイデンは、再び報復が始まった様子を、恐怖を抱きながら目撃していた。彼は次のように打電した。

「今度は、韓国軍が、逃げた山から戻ってきた数名の警官の協力のもと、残虐行為に対し残虐行為によって報復を行った。我々は広大な運動場のわきから、順天の女や子どもたちと共に、彼らの夫や息子が忠誠心をふるいにかけられる様子を目ていた。下着姿にさせられた四人の若者が、ひざまずいて嘆願していた。一人は祈るように両手を掲げていた。突然嘆願する彼の両手が、口と鼻の中に押し込まれ、ライフルの台尻が、彼の歯を打ち砕いた。

彼らの後ろには、こん棒をもった二人の男が立っていた。この男たちは、歯をむき出して笑いながら、息を整えるために一休みしなければならなくなるまで、ひざまずく男たちの頭や背中を殴りつけた。サングラスと日本のヘルメットをかぶった一人の警官が、犠牲者たちの前で踊り狂っていた。

短い咆哮をあげながら、銃の台尻でひざまずく男の顔をなぐり、銃をくるりと回転させて銃口を男にむけ、銃を発射するまねをする動作を交互に繰り返していた。そして終いには、鉄のヘルメットをかぶった頭を下にさげ、懇願する犠牲者の頭めがけて、ねらいをはずさず、やぎのように突進した。

死体以外には空っぽとなってしまった市街に車を走らせると、そこで我々は、この残忍な報復行為の理由を目撃することとなった。死体が反乱者たちによって殺されたときのまま転がっていた。後ろ手に縛られた死体が山をなして積み重なっていた。警察の構内には、二つの死体の山があった。87名の市民と警官の死体であった。我々は川の近くでも、堤防や田んぼにグロテスクに横たわる他の死体を見た。通りには黒こげの焼かれた死体の山もあり、また略奪された店や家の傍らで、倒れたときのまま一人きりで横たわる死体もあった。

順天が血の海となった最初の恐ろしい数日間、犠牲者との関係が明らかになると共産主義者と政府のいずれかからの報復をうける可能性があるため、誰も死体が自分の身内であることを申し出ることができなかった。しばらく後、事態が沈静化すると、目を背けたくなるようなむくんだ死体の山の中から、身内を探しだすため、女性たちは運動場から散っていった。身内を見つけると、最初はじっとこらえている様子だったが、しばらくすると、彼女たちはヒステリカルに泣き出した。」

これらの事件の背後には、

1. 伝統的な事大主義の傾向の結果、日韓併合前と同じ「どの国につくべきか」という問題が再び先鋭化した。
2. 『セックスと嘘と従軍慰安婦』でも取り上げた、併合時代には階級間の対立として性質を変えていた朝鮮時代から残存する身分間の対立と反目が、1.の問題と結びつくことで、よりはっきりした形で顕在化した。

と考えられます。

この後、1950年6月25日には朝鮮戦争が勃発。身分間、階級間の反目と対立は、より大規模な「保導連盟事件」と呼ばれる虐殺事件へとつながっていきます。「保導連盟事件」の犠牲者は少なく見積もって20万、多い数字ですと120万人が虐殺されたと言われています。それに対し、併合時代、鎮圧のために、もっとも大きな犠牲者を生むことになった1919年の「三一運動」では、その犠牲者は韓国側の最も大きな数字でも7509名、日本側の数字では357名ですから比較になりません。

こうした争いから逃れて、戦後日本に渡り、在日という形で定着することになった人々も多くいます。

三・一運動以降は、武断的な朝鮮統治に対する反省が日本国内にも起き、文治的な統治へと政策が変更された結果、朝鮮は極めて平和な時代を迎えることになりました。

下は1925年。のどかな併合時代の朝鮮。

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(話題はそれますが、併合前の朝鮮の写真として紹介されることのある着色された右の写真は、実は上の1925年の映像からとられたもののようです。同じショットが3分12秒あたりに見られます。)



併合時代は韓国(朝鮮)にとって、まぎれもなく、その歴史上最も平和で平等な時代でした。

慰安婦問題を含め、韓国による歴史歪曲と反日教育は、国民の憎悪を日本に向けさせることで、国内の反目と対立から韓国国民の目をそらし、国内の統率を計る目的もあると考えられます。

貴重な資料を提供くださり、ありがとうございました。


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