てこの原理
『慰安婦神話の脱神話化』第一部
いろいろと工夫した点があります。
その一つは「てこの原理」を応用したこと。
重いものをてこで動かすときには、ある固定された動かない支点に棒をあてがうことによって動かします。
これは人の思い込みを打破し、ものの見方を動かすときにもそうではないかと思います。
「うごかない支点」。つまり双方が議論の余地なく正しいこととして同意できる一点を設けておく。
上の動画では「かわいそうなおばあさんの悲劇を繰り返さないように全力を尽くそう」という点を支点に用いています。この点に反論できる人はいないからです。(ここでおばあさんたちの悲劇と呼んでいるのはもちろん日本兵に拉致されたというような作り話ではなく、業者に騙されたり、貧しい両親に売られたという悲劇のことです。)
常日頃、慰安婦活動家と同一視されて私たちの批判や侮蔑の対象となりがちな韓国の慰安婦のおばあさんたちを、あえて活動家から引き離して別に扱う。そのことによって、慰安婦神話を信じ込み、慰安婦に同情的な人々との間に共通の動かない「支点」を手に入れることができます。
動画の隠れた究極の目的は当然のことながら「日本の名誉回復」ですが、表向きはその意図は一切出さないでいます。なぜならば「日本の名誉回復」は日本人相互であれば共有できる「動かない支点」になりますが、日本人と外国人との間ではこれを共通の支点として使うことはできません。(親日的な外国人なら別かもしれませんが。)ですから、何か別に「動かない支点」を意図的に設ける必要があります。
聖書の言葉を引用するのも、外国人(西洋人)にとっては、いかに世俗化したとはいえ「動かない点」だからです。
考えてみれば、慰安婦活動家たちも「動かない支点」を巧みに利用しています。「女性の人権はまもられなければならない」。このようなテーゼを掲げられて否定できる人はいないでしょう。
「女性の人権はまもられなければならない」
↓
「日本は重大な女性の人権侵害を犯した」
↓
「したがって日本は糾弾されなくてはならない」
と論理を展開されればこの論理を否定できる人はなかなかいないでしょう。
私たちが外国人に慰安婦問題を説明するときも同じ方法をつかわなければならないと思います。議論の出発点となる「動かない支点」を提示する。相手との間で共有できる「否定しえない点」を持つことによって、それを土台にして話を進めることができる。「日本人の自己弁護なら聞きたくないが、そういうことならば話を聞こうじゃないか」という開かれた姿勢を相手から引き出すことも可能かもしれません。
あとは、この支点に棒をあてがうことで重たい石を割と簡単に動かすことができるようになります。
「慰安婦のおばあさんたちの悲劇を繰り返してはならない」
↓
「慰安婦のおばあさんたちは日本軍ではなく人身売買の被害者である」
↓
「それを日本のせいにして偽りを語ることで、悲劇の本当の原因がうやむやにされる」
↓
「おばあさんたちの悲劇をふせぐことができなくなる」
↓
「本当の事実を知り、悲劇の原因を正しく知ることが不可欠である」
↓
「慰安婦活動家たちは偽善者である」
というように主張を展開し、「うごかない支点」を中心に相手のものの見方を180度変えてしまうことも可能になります。
この共通の「支点」を設けることなしに、どんなに証拠を並べても馬の耳に念仏です。「支点」さえあれば、ただの棒切れが大きな岩を動かす力をもつが、「支点」がなければ棒切れは棒切れでしかないのと同じように。
日本語版もまもなく出しますのでお待ち下さい。
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コメント
「てこの原理」
天晴れ過ぎて目から鱗です。
慰安婦問題だけに限らない、とても使えるモノの見方だと感じました。一つ賢くなりました。
悪意により歴史的に貶められてる日本の未来に光が差し込んでくる感じです。
投稿: KENKEN | 2012年11月18日 (日) 07時08分