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2012年2月12日 (日)

「ネトウヨ」化する香港

香港に押し寄せる中国本土からの移民。その民度の低さに困り果てた香港の人々の間で、中国人をイナゴに例えた替え歌がはやっています。原曲は、香港の人気歌手イーソン・チャンの「富士山下(富士山の下で)」という歌。



この歌の中で香港人は中国のことを「支那」と呼び、「お前たちは日本の右翼か」と中国人たちを怒らせています。香港人の現在の物の見方は、戦後、大陸からの中国人(国民党)の流入を既に経験している台湾人の考え方に似てきています。この中国からのイナゴの大群は、日本にも大量に押し寄せてきています。





よく中国人や韓国人・朝鮮人を揶揄して「民度が低い」という言葉が使われますが、この「民度の低さ」には、歴史的・構造的な原因が存在しています。時折、アメリカや西洋人に対抗するために、アジアは一つにならなければならないといった意見も聞かれますが、日本と、支那・朝鮮の間に横たわる歴史的・文化的・社会的な違いを無視してそれらの国々と深く関わっていくことはやはり大変危険なことだと思います。この歴史的背景は、現在鋭意政策中の慰安婦動画の中でも紹介する予定です。

簡単に述べるならば、中華体制の国内制度である律令制度の中に、「良民」(自由民)と「賤民」(非自由民)をはっきり分ける階級制度が存在し、しかもこの「賤民」の中に「奴婢」と呼ばれる家畜と同じような売買の対象となっていた奴隷階級が近年までそれらの国々に残っていたこと、これが中国・韓国・北朝鮮の社会で、伝統的にいわゆる「民度」の向上を妨げ、「人を人として扱わない」文化を現代に至るまで根強く残存させる原因となっています。

日本にも7世紀後半に律令制度を導入した直後には「奴婢」と呼ばれる奴隷階級が存在していましたが、イデオロギーや制度に対してよい意味でフレキシブルであった日本では、律令制度は、その導入の直後からどんどん形を崩していき、遣唐使を廃止し、律令制から封建制に移行していった平安時代に「奴婢」階級は自然的に消滅し、その後の日本社会では奴隷制度は実質的に存在していません。確かに日本にも、「穢多・非人」と呼ばれた社会から排除された「不可触民」としての被差別階級は、江戸時代の末期まで残っており、それはそれで残念な歴史ですが、その人々は決して人身売買の対象になっていたわけではなく、律令制度における「奴婢」いう売買の対象とされた奴隷階級とは別の種類の人々でした。未だに共産主義を守り続けている北朝鮮の例に見られる通り、何事においてもリジッドなイデオロギーの追随者であろうとした朝鮮では、律令制度は厳格に守られ、「奴婢」階級は李氏朝鮮時代の最も多いときでは全人口の50%に達していたと言われ、日本が圧力をかけて1894年から行わせた甲午改革までこの奴隷制度は廃止されることはありませんでした。

イギリス人女性イザベラ・バードの『朝鮮紀行(Korea and Her Neighbors)』は、この甲午改革前後の朝鮮の姿を描いた名著ですが、その最後の章で彼女は次のように述べています。

改革があったにも関わらず、朝鮮には階級が二つしかない。盗む側と盗まれる側である。両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の五分の四をゆうに占める下人(ハイン)は文字通り「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。

このように中華体制の毒を飲み干した中国・朝鮮の社会は歴史的・構造的に二分されていたのですが、日本の学校教育ではインドのカースト制(ヴァルナ制)を教えても、隣国を千年以上にわたり支配してきた奴隷制度については何も教えず、中国・朝鮮の「良民」階級の中のさらにごく一部だったにすぎなかった文化的階層の人々が作り出した上澄みの歴史しか教えません。その文化の上澄みだけで中国や朝鮮をとらえようとすると、中国や朝鮮の本当の姿は見えません。李氏朝鮮時代を取り上げた韓国のテレビドラマが日本のテレビ局で放送されていますが、一見美しい文化の上澄みの背後には、日本とは比較にならない悲惨なやり方で抑圧され、家畜のように扱われていた無数の人々の存在があったことを私たちは忘れてはなりません。また、奴隷制度が1000年前から存在しない私たちの国の常識は、100年ほど前まで公然と奴隷制度が残っていた国々には易々と通用しないということも念頭に入れておかなくてはならないと思います。

中国や韓国はいずれも「文化大革命」や「保導連盟事件」といった、同じ国民が同じ国民を百万、千万というレベルで大量に虐殺するという日本人の感覚ではとうてい理解することのできない悲惨な社会現象を経験していますが、これもこれらの国々が、その奴婢制度の伝統から生じる差別・被差別意識や憎悪や不信を社会の内部に深く抱えてきたことと関係があると思われます。

現在の韓国は、彼らが「賤民」として蔑んできた階層に、現代の日本人を配置することによって、自分たちを「良民」化し、自分たちの社会が抱える階層意識を払拭しようとしていると思われる部分もありますので、こういう未だに根強く存在している相手側の社会意識を知らずに、日本人がその社会にうかつに入り込んでいってしまうことは大変危険なことだと思います。

この東アジアの伝統的政治体制である「中華体制」と結びついた「奴婢」制度ですが、実は現代のグローリズムとも大きく重なる部分があるのではないかと考えています。実際に、IMF危機以降、グローバリズムの悪影響を日本以上に被り、サムスンやヒュンダイといったごく一握りの大企業が優遇される一方で、インフレに苦しみ非正規雇用が蔓延する格差の激しい現代の韓国社会の姿は、朝鮮時代の階級社会ととても類似しています。そういえばグローバリズムの宗主国アメリカも奴隷制度を19世紀まで保持していた国家でした。またそもそも「中華体制」というのは、当時の東アジアにおける「グローバリズム」に他なりませんでした。

東アジアの伝統的グローバリズム 現代のグローバリズム
中華体制(中国中心主義) TPP(アメリカ中心主義)
律令制度 市場主義
「良民」と「賎民」の二分化 「正規雇用」と「非正規雇用」の二分化
階層社会 格差社会

このように中華体制と現代のグローバリズムには多くの類似点があり、いずれも日本の伝統にはそぐわないものだと思います。比較的格差が小さく、労働に価値を見いだし、働く人々に尊敬と感謝を捧げ、殿様が率先してもっこを担いで一緒に城を建てるのが日本の伝統です。日本に、非正規雇用という名の奴婢制度が蔓延し定着しないように、この点でも私たちは日本の「保守」として日本の古き良きものを守っていくために力を尽くしていかなくてはなりません。日本社会の格差を増大させ、労働の非人格化を一層押し進めてしまうTPPは日本にとってとても危険なものであることを改めて指摘させていただきたいと思います。

中華体制のなれの果てが、民度の低い、自己中心な人々の群れであったように、極端な市場主義経済の行き着く先も、やはり同じく、人間としての品位を欠いた強欲で冷淡な社会の到来ではないでしょうか。

日本は、アメリカにも中国にも組み込まれることなく、ただ日本であり続けなければならないと改めて思います。

中国からの移民の問題は、WJFプロジェクトのかなり初期の作品の中でも取り上げていますのでぜひ、こちらもご覧ください。



そして、TPPについては、こちら。


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コメント

はじめまして。
いつも興味深く拝見させて頂いてます。

こういう記事を見ると
2、3年前に香港人に
「Are you Chinese?」
っと聞いて怒られた記憶が蘇ってきます。
香港人と中国人がどう違うかを
天安門事件をふまえて説明されました。

香港では2万人もの学生が広場で
戦車に踏みつぶされたり、殺されたりする様子が
そのままニュースとして流れたそうです。
自国民を殺すような人たちと一緒にしないでっと
熱く語っていました。

その人は40歳ぐらいでしたが
今(香港返還後)となっては中国が教育に介入し
そういう考えが若い人になくなったと思ってましたが
そうでもなさそうですね。

投稿: ジロウ | 2012年2月13日 (月) 15時48分

何かの豆知識にでもなれば...

「支那」という名称ですが、シナ語ではごく最近まで「印度支那」半島を自ら使っておりました。今は中南半島とか中印半島に言い換えてるそうです。そもそも「インドシナ」という名称は、1810年に出版された本でフランス人の地理学者が最初に使ったそうです。日本では、江戸時代にすでに欧米言語の「シナ」(鎖国していたのでオランダ語のChinaが最初でしょう)に「支那」を当てていました。ですから、多くの自然科学用語と共に「印度支那」も日本語から輸出されたもので間違いありません。今までこの「印度支那」は使いながら、日本に「支那」を使うなと言ってたわけですよ。

ちなみに、ヒンディー語では自国のことをBharataと呼びますが、シナ語のように自称を「インドシナ」にねじ込みません。無理やりカタカナ表記すると「ヒンドチー」みたいに呼ばれます。

呼称問題でも日本は変な国に囲まれております。

投稿: 第38軍 | 2012年2月13日 (月) 05時22分

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